BfMcompany★ドイツで活躍する日本人音楽家紹介

ドイツ音楽留学をお考えの方必見!現在活躍されるプロの音楽家がご自身のドイツ音楽留学体験や留学生後進へのメッセージetc.を愛情たっぷり語ってくださっています★

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第九回目 升島唯博さん

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<プロフィール>
広島のエリザベト音楽大学にて声楽を小野村和弘教授(バリトン)に師事。在学中、クラシックギターを佐藤紀雄氏に師事。大学卒業後渡独。ドイツ・ノルトライン・ヴェストファーレン州、デトモルト音楽大学ミュンスター校にて、ウタ・シュプレッケルゼン教授(ソプラノ)のもと、声楽教育科過程を修了。その後、広島中村音楽奨学金を得て、同じくドイツ・シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州、リューベック音楽大学にて、フランツ=ヨーゼフ・アインハウス教授(バリトン)のもと、舞台演奏学科過程を修了、同大学院オペラコースを最高得点で修了。その後ブレーメン歌劇場オペラアカデミーにおいてシュピール・テノール(テノール・ブッフォ)として契約を結ぶ。その後、フリーのオペラ歌手として各地のオペラ劇場に客演で歌っている。オランダ・オイレギオ国際声楽コンクール優勝。

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きらきーら升島唯博さんにインタビューきらきーら

渡独8年目。決して短い道のりではなかった・・・
ようやく今プロのテノール歌手となり、新たな目標へ歩みを進める。
そんな升島唯博さんの最新インタビューです。どうぞお楽しみください! 

田中: 升島さんはどうして留学先にドイツを選ばれたのですか?

升島: 日本の大学で師事した先生がドイツと関係のある先生だったからというのと、ドイツリートが好きだったという理由です。また、ドイツ・ミュンスター音楽大学の先生による講習会を受けたことも、留学先にドイツを選ぶきっかけとなりました。

田中: 初のドイツ留学でミュンスター音楽大学に入学されたとの事ですが、思い出に残るエピソードはありますか?

升島: まず、ほとんどの留学生が感じるように言葉は大変だったのですが、僕の学生時代にはまだミュンスター音楽大学には声楽専門の学科がなく、声楽教育学科の生徒として入学したので、教育学、心理学など、実技科目以外の専門分野も学ばなければならなかったことにより、語学の面では非常に鍛えられた思い出があります。これが後々自分の為になったのですが、それでも卒業論文には苦しめられました(笑)

田中: ミュンスター音楽大学ご卒業後、リューベック音楽大学でも学ばれたとのことですが、日本の音楽大学にはなくドイツの音楽大学の授業にある特別な授業はありますか?

升島: 日本にもない訳ではないのですが、やはりコレペティトゥアの授業ですね。簡単に言うと伴奏者に歌のレッスンを受けるものです。日本でもレッスンやコンクールなど伴奏者を連れて行きますが、その伴奏者は大抵ピアノ科の生徒かピアノ奏者だと思うんです。でもドイツではただの伴奏者ではなくコレペティトゥアという職業を持つ専門の人が伴奏を務めます。彼らは楽曲のことから発声に至るまで専門に勉強していますので、もちろん言葉でも専門的なアドバイスをしてもらえ、コレペティトゥア自ら歌いながらピアノを弾き楽曲の説明もし、尚且つ僕らが音楽に入り込めるというのはすごいことだと思います。また、声楽だけでなく、管楽器、弦楽器専門のコレペティトゥアが存在します。

田中: コレペティトゥアの授業を受けたことで、どのような変化がありましたか?

升島: 自分の音楽が音楽的になったと思います。音楽がより深く理解出来るようになったというのでしょうか。日本の授業では、「自分の歌で相手(ピアノ)を引っ張って歌っていきなさい」との教えもあって、自分の音だけを聴き自分のやりたいように歌う傾向がありましたが、伴奏者が音楽を理解している場合ではむしろ競合して音楽を練り上げていくようになりました。

田中: コレペティや劇場の合唱団員など、ドイツではその職だけで生活できるという基盤の様なものがありますが、現在の日本の音楽界ではなかなかそうもいきませんよね。

升島: いやぁ、もうそれを話すと限がないです(笑)
まずドイツのオペラ劇場が国や州からお金を援助されていて、チケットからの収入ももちろんありますが、その援助金で出演者の給料が保証されるというしっかりとした給料体制があります。それで毎日の様に何かしらの演目が開くことが出来ます。この点だけでも日本とは大きく違うところですし、もちろんそういった劇場には合唱団の組織もしっかりしていて組合もちゃんとあるし、決してないがしろにはされません。むしろ、僕の様にソロで活動する者の方が安定しませんよ。こういった話は歴史が絡んでいますので、やはり話が尽かないです。

田中: それでは、コレペティという授業も含めドイツで学び得たものの中で一番大きなものは何ですか?

升島: 授業やレッスンといった音楽の勉強から受けた刺激はもちろんですが、僕の場合は声楽家ということもあり、やはりドイツ語を習得したことは大きいです。ドイツ語が分かるようになると歌詞が理解でき、その為フィーリングを自然に得ることができるようなります。ドイツ語がまだ理解出来ない時には、歌詞も日本語訳に直したものを覚えて、強弱記号や譜面にあるヒントだけを元にテクニック的なことだけで音楽やフレーズを造っていました。しかし、言葉が分かるようになると、例えば譜面上で言葉と音楽がしっかりと一体になっている場合、どうしてここが山(フレーズの頂点)になるのかというのが、もうその言葉を喋っただけで自然に読めてしまうのです。これはドイツ語の流れというものを掴んでいるのと掴んでいないのとで大きく感覚のズレが生じるように思います。

田中: 学生を終えて、現在はプロのテノール歌手としてご活躍されていらっしゃいますが、ずばりプロになる為にはどういう手順を踏んでいくのですか?

升島: 僕の場合、リューベック音大の学部から院へいくまでの間にプロへの道を考えだしました。院にいけば授業数も減りますし、その余った時間を使ってオーディションを受けようと思い、まずは各音楽事務所へ履歴書を送り始めました。そして調度そのころ大学の短期セミナーで「声楽科専用履歴書作成セミナー」という元々音楽事務所の人事科で働いていた講師による講義があり、特に期待はせずに受講したのですが、実際受講してみると目から鱗ボロボロ。何せどの音楽事務所も実技試験の前に履歴書選考が行われるわけですから、この講義を受けていなかったら僕は今でもどこの劇場にも入れていないと思います。

田中: そのセミナーで勉強した、ドイツの履歴書を書くコツを紹介して頂けると嬉しいのですが。

升島: もちろんです。まず、日本の履歴書を想像してはダメです。履歴書を書くときの基本は『自己主張の塊』を意識して書くことです。履歴書はA4の用紙を何枚も使って作るのですが、表紙には自分の名前と声種と写真をバーンッと大きく用紙一杯に載せるのです。写真はもちろん音楽家として声楽家として、それを見た相手がいかにもうまそうな感じを抱くような写真を選びます。そこがかなりのポイント!もちろん中身も履歴やコンクール歴が良ければ申し分ないですが、ドイツ人が重視する部分と日本人が重視する部分の違いを学ぶことで、書き方や表現の仕方までが違ってくるのです。今説明したあたりがしっかりしていないと、まず箸にも棒にもかかりません。履歴書を開いてくれることもないでしょう。もちろんオーディションの招待状すら来ません。なぜなら、音楽事務所には毎回何百通という履歴書が送られてくるので、日本のようなA3の用紙にインスタントで撮った様なパスポート写真を貼り付けたものはサッと省かれるわけです。そういった厳しい状況から選ばれる為には、相手にインパクトを与える以外方法はないのです。

田中: どの音大でもそういった講義が行われているのでしょうか?

升島: どこの音大でもある講義ではなさそうです。しかもあまり頻繁に行われている風でもなく、ゼメスター中に行われる講義というよりはゼメスターとゼメスターの間の短期講習会として行われているのではないでしょうか?ドイツでオーディションを受けられる皆さんには是非受講して欲しいセミナーの一つです。

田中: 履歴書審査に通過した後、次は何をするのですか?

升島: 招待状がきた音楽事務所の実技試験を受け合格したら、事務所側から劇場のオーディションを紹介して貰います。音楽事務所は言わば劇場への派遣の役割をします。そしてその劇場のオーディションに合格して、晴れてソリストとして舞台に出る事ができるのです。給料に関しても、劇場から出た給料の何パーセントかを事務所へ支払うことになります。事務所と共に働いているイメージですね。ただ、例えばソプラノはオーディション自体があまりなく、音楽事務所に所属はしているけども2年ぐらい何の音沙汰もないという人が結構いるのも事実です。

田中: 劇場の仕事とは短期のものですか?それとも長期ですか?

升島: それはその時々で違います。最初に合格した合唱団の契約は3ヶ月でした。今現在のソリスト契約は1年です。そして1年経って連絡がなければ自動的に契約更新になるのですが、契約更新時期が迫ると、電話が掛かってくるかどうかドキドキするものです(笑)合唱団はドイツでは終身雇用でも、ソリストは契約が終われば次の契約そのまた次の契約と、常に先を考え動かなければいけません。気が休まらないですが、一度ソリストの魅力に憑りつかれたら止められないですね。

田中: 升島さんにとってのソリストの魅力とはなんですか?

升島: 己を魅せることが出来る事であり、舞台の中で華やかさを務めることが出来る事です。

田中: ソリストとして、今後の目標はありますか?

升島: 声量のある歌手たちと一緒に劇場で歌っていると、自分の声の小ささを痛感します。しかし、声を大きくすることばかりに執着すると喉を痛める可能性もあります。今の状況を冷静に見てみると、今後更に新しく何かを組み立てていくというよりは今あるものに磨きをかけていくことが大切で、僕の場合幸い今までドイツ語の発音を意識して勉強してきたこともあり、外国人だからという理由で役をもらえないことはありません。ですからその長所を更に伸ばし、自分の声質に当てはまる役柄の技術を確実に身に着けていきたいと考えています。

田中: 今日は貴重なお話をどうもありがとうございました!
最後に、今後ドイツへ来る音楽留学生や現在留学中の音楽家後進へメッセージをお願いします。

升島: ドイツに住むと、空気や生活スタイルが日本と全く違うことに驚く人も多いのではないでしょうか?嫌な辛いことももちろんあるでしょうが、皆さんにはドイツのいい所を沢山見つけて楽しんで、音楽を学ぶ力に変えてもらえたら良いなと思います。

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升島さん、貴重なお話をありがとうございました!!
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テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/10/03(水) 00:00:00|
  2. 声楽

第八回目 堀哲也さん

堀哲也さん


<プロフィール>
ドイツベルリン在住作曲家。
1980年北海道札幌市生まれ。

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きらきーら堀哲也さんにインタビューきらきーら

僕の生きるテーマは「楽」
攻撃的にいっても仕方ないですから(笑)

穏やかな雰囲気のカフェで、ビールを飲みながらそんな風に語ってくださった今回のゲストは、作曲家堀哲也さん。作品の多くが、実験音楽とよばれるジャンルのもので、現在ではドイツ国内だけでなくニューヨークやアメリカでも高い評価を受けておられます。自分の作品をまず自ら楽しむ姿勢が印象的な堀さん。さてでは、どんな経緯でここドイツという地に訪れ、どんな音楽とどんな風に向き合って生きていらっしゃるのでしょうか?彼の作品にも触れつつご紹介して参ります。

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田中: ではまず、ドイツに来られたきっかけを教えていただけますか?

堀: 音大の先生がベルリン芸術大学に留学していたことで、普段よくドイツの話を耳にしていたからでしょうか、直接はドイツでのコネクションもなかったのですが、とにかく留学して大学で勉強したいという思いが強かったことを覚えています。ですから、大学を卒業した後は迷わず「ドイツ音楽留学」を進路として決めることが出来ました。

田中: 実際にドイツに来られてからは、どの様な勉強をされましたか?

堀: 入試を受けること前提だったので、まず大学の先生のレッスンを受けました。
しかしいつ頃からか、その先生と自分の中にある音楽的方向性の違いを感じてしまい、色々悩んだ結果、「大学はどこまでいっても大学。せっかくドイツまで来たんだからのびのびやろうじゃないか!」と吹っ切れて、大学受験も考えなくなりました。で、結局この気持ちが、個人で活動を始めるキッカケとなったのですが。

田中: 何でも最初が一番難しいとは思うのですが、個人で活動を・・・というのは具体的にどのようにして始められたのですか?

堀: 「ゆっくり無理せずやろう。でも、とりあえず語学は勉強しよう(笑)」そんな風に思って、語学学校に通い、毎日のように外国人の友達と遊んでいました。そうする内に自然と語学力も身につきましたし、やっぱり遊びながら学ぶことが一番上達が早いと実感しました(笑)
で、いつもの様にブラブラしていた時、ちょうどアーティスト数人が展示会をやっており、ふらっとその会場へ入ったんです。その中には日本人や音楽家もいて、聞くとベルリンに来て1年くらいのフレッシュなアーティスト達。そしてその展示会をやっとの思いで実現させたことを知りました。僕と同じ気持ちの人がいるんだと思い、自分も発表の場所が欲しいんだという気持ちを伝えました。彼らは「じゃ、やりたい人たちだけでやろうよ!」と言い、展示会兼コンサートに向けて準備を本格的にスタートさせました。

ただ、どうやって会場を探すのか?セッティングの手順が全く分からなかった。
どうしようか・・・と考えた結果、メンバーの中に比較的大きな部屋に住んでいる人がいて、ちょうどピアノもあったので、まずはそこから月1回のペースでその展示会兼コンサートを始めました。
絵画、写真、オブジェクト、音楽、映像・・・様々なアーティストと共に、アパートの屋根裏部屋までもうまく利用しました。

田中: お客さんの反応はどうでしたか?

堀: 全く個人の展示会で、しかもアパートの一室でやってる小さなものにも関わらず、不思議と街に住む見ず知らずの人たちが、これまた結構集まるものなんです。こういうところが、ドイツ・ベルリンの魅力だと感じています。こちらの聴衆がコンサートなどで重要視しているのは、アイデアやコンセプトだと思うんです。決して見せかけの完成度を見ているのではないということが分かりました。日本では、お金を掛けないと皆聴きに来ないけど、ドイツではそんなことはどうでもいい。そんなことしなくったって、自然に街の人が聴きに集まるものなんです。

田中: 堀さんの演奏会の中で面白いと思うコンセプトは何ですか?

堀: あまり作曲家って自分で演奏しないのですが、ちょっとそういう機会を作っても良いんじゃないかなと思って、お客さんの前で自分の作品を自ら演奏したりしています。演奏者側に立つと会場の雰囲気が更に感じ取れますし。作品の例を出すと、コップを使った演奏です。

田中: えっ?コップですか?どの様に演奏に使うのですか?

堀: コップに水を入れて、ストローやピアニカのホース口を使ってそれを吹いたりするんです。
ドレミのような音名は書けませんが、譜面にはもちろん文字も記号も使います。音の高低やダイナミックス、奏法を書きます。その音をマイクを通してラップトップで加工させたりします。

田中: それはまた斬新な発想ですね。

堀: リズムもあったりなかったり。ここ数年今言ったようなマイクとラップトップを使った作品を書いています。

田中: そういったアイデアってどういう時に出てくるのですか?

堀: カフェとか公園のベンチですね。最終的に譜面にまとめる時は自分の部屋で静かに行いますが、アイデアなんかは、のんびりゆっくりしている時の方が出やすいものです。

田中: どういったキッカケでこう言ったジャンルの作曲を始めたのですか?

堀: ある時「楽譜の限界」というものを感じたことがありました。
例えば本もそうだと思うんだけど、エッセイとか自伝では、自分にとって都合の悪いことはあんまり書かないし結構美化して書くじゃないですか。ドラマチックに書いてることが多くあると思うんです。でも読み手は100%信じてそれを読んじゃう。楽譜も同じで、人次第で内容に嘘がいっぱいになるんです。
古典の楽譜なんてどこまで理解して信じればいいのかハッキリしない。
そういう意味で「楽譜の限界」を感じるようになりました。
それからは、楽譜上で真実を追求するよりも、ライブで音になることを大切に思って作品を作るようになりました。とにかく、音程とかリズムじゃなく音質や音響にこだわって書くんです。それで出会ったのが今携わっている音楽です。

僕の作品を「理解できない」という人はいるし、「えっ?何あれ?」なんてマユをしかめる人もいます(笑)
こちらの大学の先生にレッスンを受けていた時は、楽譜を見せると必ず「もっと音符を書き込まなきゃ!」とか言われて。でも僕は、自然で重要だと思うことだけ押えて、後は生活同様もがかない!(笑)
譜面は最低限に伝えるものだと思ってます。後は演奏の際に自由に演奏すれば良い、と。

ドイツに来てから、よりこんな風に思うようになった気がします。
ゆったりした生活の中で自然に身を任せて生きる。
とか言って、今日晴れてるからこんな事言ってるだけかもしれませんけど(笑)

田中: 「堀さんそのまま」という感じで、安心します(笑)ところで、譜面には最低限のことだけ書かれると仰いましたが、実際演奏家に演奏してもらう際、自分の思ってた作品と違うということが多いのではないですか?

堀: 昔はリハーサルもやっていましたが、今はほとんどを演奏家自身に任せてあります。
僕はお客さんと一緒に演奏を聴いて、反応するんです。
演奏家が違えば曲造りも違うし、「そうきたか!」なんて新たな発見をするチャンスでもあって、それがすごく楽しんですよ。演奏家は無限の可能性を与えてくれます。

相手に任せるということは、勇気がいることとか自分を出してないっていう人もいるかも知れないけど、こんな面白いことやらなきゃ損!って思っています。

田中: 多くのアーティスト達と活動をされていますが、そういった繋がりはどのように作られていくものですか?

堀: 演奏会を開き、そこに来てくれた演奏家やアーティストから「次、一緒にこんな演奏会しない?」とかアイデアが出る。また次の演奏会でも別のアーティストと出会う。そんな風にして、色んな方々と関わることが出来ているんだと思います。
人との関わりが閉ざされてしまうのはもったいないことです。

田中: これぞ音楽が作り出す仲間でありチャンスですね。

堀: 学生期間が短かったからか、日本では出来ないことをこちらで自然にやってこれた気がします。お客さんから自由に声が掛かって次の演奏会の話がくるなんてこと、日本じゃ想像出来なかった。

今後の留学生や今既にドイツにきて頑張っている学生には、大学などで学ぶことと合わせて、コンサートなど現場で色々と学んで欲しいと思います。ここドイツであれば誰にだってそのチャンスがありますから。お客さんからのフィードバック=意見、感想、反応。とにかく学びは現場で得られます。

会場が小さくても席がいっぱじゃなくても良い。観客の傍で、息の音が聞こえるぐらいの距離のところで学んで欲しいです。またこれが、ドイツにいる醍醐味だと僕自身感じています。

Konzert


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堀さん、貴重なお話をありがとうございました!!

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/09/01(土) 00:00:00|
  2. 作曲

第七回目 関根雅裕さん

関根雅裕さん


<プロフィール>
1971年、東京生まれ。13歳よりフルートを始める。
東京音楽大学及びベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学卒業。
これまでにフルートを関根一彦、小泉浩、植村泰一、ヴェルナー・タス ト、カタリナ・マイヤー諸氏に、楽器教育学をエーベルハルト・グ リューネンタール、アンドレア・ヴェルテ諸氏に師事。
97年及び99年には現代音楽の作曲・解釈の為の「ハンス・アイスラー賞」を受賞。
現在、ベルリン州立ヨーゼフ・シュミット音楽学校及びブランデンブク州立オーデル・シュプレー郡音楽学校非常勤講師。又、ベルリン・レジデンツ・オーケストラにてフルート奏者を務める他、主に室内楽の分野で活動を続ける。
北海道函館市で開催されている「フルートセミナー」や「山中湖サマー・ミュージック・キャンプ」、「ヤマハフルートキャンプ」に講師として招かれている他、専門誌「ザ・フルート」に連載が掲載される等、日本国内でも積極的な活動を展開している。

【告知】
関根雅裕ホームページはここをクリック!
☆「ヨーロッパの街角から~ベルリン」
The FLUTE 87号より6回にわたり連載レポートが掲載。

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きらきーら関根雅裕さんにインタビューきらきーら

田中: 関根さんが留学を決断されたきっかけをお話下さい。

関根: 大学生の頃、フルートに関して物凄く大きなスランプに陥ったことがありました。
その当時はもう何をやってもそのスランプから抜け出せなくて、中学生の時からの恩師や大学の先生方からも心配して頂いてはいましたが、決定的なアプローチは聞けず、自分が一人で立ち向かわなければいけない問題にとうとう直面したという感じでした。
その内に大学も卒業し、その後は音楽教室での仕事はしていたものの、何か自分の中で煮え切らないものを感じていました。
そんな頃恩師に進路についての相談をしていると、「外国には興味ない?講習会とか短期で行ってきても良いのでは。」というアドバイスを受けました。
とにかく常にモヤモヤしていた僕はそんな状況を打破したくて、先生のアドバイスをもとに、早速スイスの小さな村で行われたP.L.グラーフ氏の講習会へ行きました。
実は同時期にドイツのザルツブルクでは同氏とK.ツェラー氏の講習会もあったのですが、何となく規模の大きな講習会では受講生も多いだろうし、教授との直接のコミュニケーションは難しいかもしれない・・・と予想し、スイスへ行くことを決めたのです。
実際講習会では、先生とのコミュニケーション時間も充分に取ることが出来たし、講習会に来ていた受講生とも仲良くなることができて大満足でした。
僕にとってはその講習会が初めての外国での勉強だったので、「外国って楽しいなぁ~外国で勉強するのも悪くなさそうだなぁ~。」というイメージがうまく出来上がったんですね。そしてその時留学する決心が固まったと言えます。

田中: 講習会の後、留学地にドイツを選んだ理由はどの様なものですか?

関根: 僕が高校生の頃から使ってたフルートが東ドイツ製だったからなんです。
かなり単純な理由ですよね(笑)
僕にとってはドイツという国が一番身近な国だったんでしょうね。
今でもそのフルートケースを開けると、ドイツの匂いがするんですよ!
あと一番好きな作曲家がBachだったっていうこともあります。

田中: その他の国に行こうとは思わなかったのですか?フルートと言えばフランスも人気な留学地ですよね。

関根: そうですね。もちろん昔も今も人気の国ですね。
ただ、当時フランスから帰国した方々の演奏を聴いても、僕が目標とする感覚が得られなかったのを覚えています。人それぞれ理想の留学の形みたいなものがあると思うんですが、人から聞いたり見たりしたフランス留学が単に僕の理想ではなかったのかも知れないですね。

田中: そうしてドイツ留学が始まった様ですが、留学当初のお話をお聞かせ下さいますか?
私は仕事柄、良く「現地での先生はどの様に探すのが良いのですか?」との質問を受けますが、関根さんは音大受験前には既に師事したい先生が見つかってらしたのですか?またその先生とはどの様にコンタクトを取られたのでしょうか?

関根: いいえ。最初にドイツという留学国は決めたものの先生に関しては全く決めていませんでした。まずはDAADでドイツの音大にどんな先生がいるかを調べ、名前をメモして、図書館やCD屋さんに行ってその人の演奏録音を聞いたり調べたりしました。特に東ドイツに興味があったので、それならベルリンの音楽大学だろうと思い、ベルリンを中心に先生を選びました。
ドイツ語が出来なかった僕は師事したい先生へのコンタクトをどの様にすれば良いのか分からず悩んでいたましたが、運よく先輩が面倒を見て下さったお陰で先生のレッスンまで辿り着くことが出来ました。

田中: そうでしたか。当時は今みたいに留学生も多くなかったと伺っていますが、他にはどんなところに苦労がありましたか?

関根: ネットがなかったので情報も少なく、今みたいに簡単にメールや電話のやり取りが出来なかったので、先生一人と会う為にも手紙を出したりしながら少しずつコンタクトを取っていましたね。
当時はビザ申請も現地で出来なかったし、学校が発行した“受験をするという証明書”と“先生のレッスン受講証明書”がなければ3ヶ月のビザももらえなかった時代です。
先生からは「語学をちゃんと勉強してくれるのならレッスンする」と言われ(笑)すぐに語学学校へ通いながら先生のレッスンを受ける生活が始まりました。あっ、これは今でも同じことですよね!
幸い入学出来たので良かったですが、とにかく自分の満足する生活が出来るまで2年くらい掛かりましたよ。皆同じだと思うけど、住居とか色々大変でした(笑)
今は多少情報過多している部分もあるかとは思いますが、それでも外国人留学生にとって非常に生活しやすい環境になってきています。そういった情報やシステムをうまく利用することが出来れば強いですよね。

田中: そうですね。多くの情報があるわけですから逆に混乱する方も多くいらっしゃいますが、今ある環境を自分でコントロールしつつうまく使いこなせると、留学への不安も減ると思います。

ところで、関根さんの大学生活はどの様なものでしたか?また、ご卒業されてもドイツへ残ったきっかけを教えて下さい。

関根: 途中でアンブシュアを壊し休学したり、色んな苦労や挫折はありましたが、学生生活はとても充実したものでした。
卒業間近で、まだドイツから離れたくないなぁと思っていた頃、僕の友達からMusikschule(音楽学校)での仕事に誘われ迷うことなく応募しその仕事に就きました。これが僕がドイツに残ったきっかけです。その学校で5年以上働いたことで今では永久ビザも取得できたし、あの恐怖の外国人局にいくこともなくなりましたよ(笑)

田中: 分かります!外国人局は私も嫌いです(笑)・・・
関根さんが普段お仕事をされているドイツの子供の教育現場とはどのようなものですか?
また、ドイツと日本で生徒の違いはありますか?

関根: 生徒はドイツ人の子供がほとんどです。以前は日本人留学生が勉強していた事もあります。
ドイツの子供たちを見ていて思うことは、日本の子供たちが非常に受身だということです。そして、先生に対してとても優秀(笑)日本の生徒は、先生が言ったことは大抵「はい」といって聞き入れ、ちゃんとその様に練習します。
これってすごく大切なことなんですよね。受身ばかりは良くないけれど、基礎が身につきやすい利点があります。
逆にドイツの子供たちに関して言えば、例えば楽譜に書いてあることでも「どうしてここはフォルテじゃなきゃダメなの?」とか「なんで?」「どうして?」という言葉がすぐに出てくるんです。たまに答えるのに苦労することもありますが、そういう質問はとても自然だと思います。『自然な発想がある上で徐々に正しい演奏法へ導いていく』ことは、教える側にとってはとても興味深いものです。
子供一人ひとりの感性や才能も違いますし、もしろん今言った様な国によっての違いもありますが、それぞれに教える楽しみがあるものです。

田中: 関根さんのお話を聞いていると、今のご職業に誇りを持たれていることが伝わってきます。

関根: はい、もちろんです!初めはドイツに残る為にも始めた仕事でしたが、今では誇りを持って先生業をやっています。
子供への教育については、毎日色々悩んだり考えたりします。
子供に教えていると同時に子供から与えられることもまた多く、特に子供の素直な発想にはよく驚かされます。楽しいですよ。
与えた課題を、生徒自身でうまくクリアーした時は自分のことの様に嬉しいですし、逆に悩んでる様子なら、昔の自分を見ているようで「頑張れ!」って思いつつ出来るだけ細かいテクニックのアドバイスを心がけています。
自分の経験から話せることもあるし、生徒への教育は深いなぁ~と感じます。

田中: 先生業の他に演奏活動もされていらっしゃいまが、ドイツと日本の音楽活動における違いを教えて下さい。

関根: これは音楽活動だけではなくどんな職種でも言えることと思いますが、ドイツは日本と違いあまり年齢にこだわらない国なので、僕みたいな若造が年上の先生へ、例えば音楽に関して何か意見を述べた時でも、「若いくせに」みたいな反応は返ってきません。『年齢がどうであれ一個人としてちゃんと認めてもらえる』そこが僕にとってはとても生きやすく感じ、またドイツで気に入っているところの一つです。

田中: 最後になりましたが、現役留学生や今後の留学生へ一言お願いします。

関根: 「何故ドイツに留学したいのか?」を考えて留学することは非常に大切なことと感じます。
目的がないと音楽ってやりにくいと思うんです。ただ漠然と練習するものではないし、ドイツへ留学しようと思うくらい音楽を真剣にやっている人たちだからこそ、「では何故留学するのか?」。つまりは、目標・目的を持ってきて欲しいと思います。

「何故音楽をしているの?」
「何故その楽器を吹いてるの?」
「何故ドイツに行きたいの?」・・・等々。
今後も幾度となく考えることと思いますが、常に自分への好奇心を持って自分の信じる道を歩んで行かれる事を心から祈っています。


追記: 音楽家としての活動は、何も演奏家として生きていくだけではないのだということが関根さんのインタビューを通して改めて確認出来ます。関根さんの様に、ドイツで誇りを持って音楽教師としての道を歩むこと。その楽しさや素晴らしさを知ることが出来ました。
関根さん、貴重なお時間を有難う御座いました。


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関根さん、貴重なお話をありがとうございました!!




テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/08/01(水) 00:00:00|
  2. 器楽

第六回目 渡辺麻里さん

渡辺麻里さん


<プロフィール>
東京芸術大学指揮科卒業。
指揮を三石精一、エルヴィン・ボルンに師事。
幼少時の1962-65年に新聞社ドイツ特派員の父と家族でボン市に在住。この間、全ドイツ青少年ピアノコンクール(Deutscher Jugend- Klavierspiel-Wettbewerb)第三位入賞。65年ケルン室内管弦楽団とハイドン・ピアノコンチェルト(ニ長調)を共演した。
1978年再び渡独。ベルリン テアター・デス・ウェステンス劇場に、指揮者コレペティトールとして専属契約。その後、ベルリンの他ウィーン、クレーフェルト、ドルトムント、オランダ、シュトゥットガルトの劇場で「レ・ミゼラブル」「オリバー」「オペラ座の怪人」「三文オペラ」「マハゴニー・ソングシュピール」「メリー・ウィドウ」「天国と地獄」その他を指揮。日本では1998年以来、東京日生劇場にて「七つの大罪」、神奈川首都オペラ「椿姫」「ホフマン物語」「魔弾の射手」「ファウスト」の指揮を務めている。
2007年ベルリン現代音楽アンサンブル"ザイテンブリッケ"の指揮。
劇場での活動と並行して1990年以来ベルリン芸術大学オペラ科、声楽科の非常勤講師。

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きらきーら渡辺麻里さんにインタビューきらきーら

田中: 女性的な繊細さもあり、また時には大胆に曲をまとめ上げる。そんな渡辺さんの指揮を去年初めて拝見した時の衝撃は非常に大きかったことを覚えています。今日はそんな素晴らしい指揮者とお話出来ますことを、大変嬉しく思っております。どうぞ最後まで宜しくお願い致します。

渡辺: ありがとうございます。こちらこそ、どうぞ宜しくお願いします。

田中: では早速、渡辺さんがドイツに留学することになったきっかけからお話頂いて良いですか?

渡辺: はい。オペラ好きの父の影響もあり、元々オペラのコレペティトールになるのが夢だった私は、芸大の指揮科で学んでいた頃からドイツで勉強したいなと考えていました。そんな折、たまたまドイツの先生が大学の客員教授になられたので、思い切って彼に留学の相談をしてみたところ、「自分が住んでいたベルリンの住居が空いているから使わないか?」と言って頂きました。
私の場合それまで漠然としていたドイツ留学が、その言葉をきっかけに急にハッキリとしたものになっていったと言えます。

そして、当時丁度ベルリンにある『テアター・デス・ヴェステンス』という、ミュージカルとオペレッタの劇場が新しく改装されたとのことで、更に先生からは「良かったらそこで働いてみない?」という言葉を頂きました。

元々現地の音楽大学等に通うことを考えていなかった私は、これは良いチャンスだと思い、まずは日本から劇場へ手紙を送り、現地とのやり取りをし、ベルリンへ行くことがようやく決まったんです。

田中: 現地の音大で学ぶことを考えていらっしゃらなかったというのは、結構珍しいですね。
渡独後はどの様な環境で音楽の勉強をしておられたのですか?

渡辺: 渡独後、直ぐにテアター・デス・ヴェステンスの見習いとして働くことになりました。
コレペティの人の横にひっついて仕事を学ぶこと1ヶ月。その間には今までに勉強したことのないミュージカルやジャズの作品もありましたが、自分もピアノを弾かされたりなんかして、一応仕事はちゃんとこなせることを認めてもらいました。

渡辺: 色んな方々の協力を得、大変ながらも良いスタートを切った留学でしたが、両親からの仕送りは少なく、見習いの頃のお給料もごくわずかなものだったので生活が苦しかったんです。もう、家賃にしかならないくらいでした。そうすると、2ヶ月過ぎたころには既に生活費が底をつき始め・・・。これは何とかしなきゃ!ってずっと考えていましたよ。

だた、幸いその頃には劇場の専属指揮者兼コレペティとしても使ってもらえる様になり、劇場も新しいシーズンに入り毎日本番をさせてもらえたので、それで何とか生活が出来るようになりました。

劇場で働いていたことで、そこには他の劇場の方も観にきていて、関係者からお声を掛けてもらえたことも大変ラッキーでしたね。

田中: 留学後たった3ヶ月程度で音楽を仕事として、お給料も貰い生活しておられたことは凄いことですね!

渡辺: そうですね。ラッキーだったと思います。
きっとうまくいった原因の一つには、私が幼いころ父の仕事の関係でドイツに住んでいたことが大きいように思います。

「住んでた」と言っても、小さい頃のほんの3年程度なのですけどね。言葉はもちろん忘れていたのですが、不思議なことに何故かドイツ語のリズムみたいなものは耳に残っていたんです。なのでドイツ語の吸収も早かったです。
言葉を話せるのと話せないのでは、チャンスを掴めるかどうかも大きく違ってくるものです。

田中: そうですね。誰もが乗り越えなければいけない壁。それが言葉の壁ですね。
あの~突然ですが、麻里さんは今までにオペラもミュージカルも指揮してらっしゃいますよね?
その二つをやっていて何か違いはありますか?

渡辺: はい。まず歌手自体が違いますよね。
オペラは毎日毎日歌うことは無理ですし、逆にミュージカルの俳優さんは毎日でも公演されていますしね。

また、ミュージカルに関しては今と昔で違いを感じます。
始めのうちはそんな事なかったんだけど、今はマイクロフォンやシンセーサイザーを使う劇場が多くなってきて、大分質が変わってきたように思います。

音楽的に言うと、オペラはいつの時代も大変な思いで皆が仕上げますが、ミュージカルはその点少し大安売りな感じになってきたかな・・・と思うことがあります。
ただ、今でもロンドンなどで観るミュージカルや、小さな劇場でやっているミュージカルの中には、古き良きかたちのものがありますので、一概には言えません。

オペラもミュージカルもどちらが好きとか嫌いとかではなく、それぞれに面白みがあって良いものです。

田中: そうですね。それぞれに、面白みのある芸術だと私も思います。
ところで、渡辺さんはドイツに長くお住まいですが、ドイツで音楽を学ぶ醍醐味って何だと思いますか?

渡辺: ヨーロッパ音楽はヨーロッパで産まれたものですよね。
その音楽は、生活と言葉が非常に密接していると思うんです。
私達がドイツに来て何が学べるかというと、根源になるような文化、言葉、背景など全部まとめて、自分の表現の仕方が日本とは違うという事です。
そういうことを自分で体験出来ることが良いのではないでしょうか。

楽器の人もそうだけど、特に声楽家は言葉の違いからくる影響が非常に大きいです。
ドイツ語と日本語では、言葉自体の響きや色が違うので、日本人がヨーロッパ音楽をするとどうしてもフレーズが流れなかったり不自然だったりする場合が多くあります。
逆に、ヨーロッパの人が同じ曲を歌うと何故かシックリするという感じです。

ヨーロッパで生活し、文化を感じ、現地の言葉を喋る。
それだけでそのフレーズの違いを学ぶことは出来ますし、それが一番大きな「ドイツで音楽を学ぶ醍醐味」だと感じます。

私なんかも、もう30年近くドイツにいるのに未だにまだ勉強が足りないと思うことがありますよ。
普通の人が当たり前に知ってることなんかを知らなかったりすること、今でもありますからね。

だからって、私達日本人が持っているものが何もない訳じゃないんですよ。
その人それぞれに価値はあるので、一人ひとりの表現が音楽に生かされていくことが素晴らしく、また面白いのです。
ただ、やはりその為には表現方法も身につけなければいけないんですよね。だから私達は、これからもずっ~と勉強しなければいけません(笑)

田中: う~~ん。誰にも当てはまることだと思います。身に染みますね(笑)
指揮者の勉強も、ただひたすらに練習するだけではないと思います。指揮者の勉強とはどの様なものなのですか?

渡辺: 一言で言うと、譜面を読む勉強です。
指揮者は自分が譜面から読み取ったものを想像して、それを次は人に伝えなければいけません。

『譜面を読む』ということは、例えば一つのフレーズがあるとして、それをどう言う風に音楽にするかという事を読み取らなければいけないんです。
また毎回その感じ方や考え方が違わないくらいある程度まで納得した解釈にしていく必要があります。

あともう一つ。譜面を読むときには楽器のことが分かっていないと読めないんですよね。
楽器の造りだけでなく、息の使い方や音のスピード、テクニック的な部分も含めて知っていないと、作曲家の真の意図は読むことが出来ません。


田中: 音楽家の中でも、全てにおいて知識を要するのが指揮者だと言われます。物凄い勉強量ですね。
ところで指揮をされていると、元々自分の想像していた音楽と演奏家が実際演奏した音楽にギャップが生まれることもあると思うのですが、そこに葛藤などはありませんか?

渡辺: 全く無い訳ではもちろんありませんが、だからこそその為に練習があると思います。
不思議なもので、指揮者が変わればオーケストラの音も変わるものなんですよね。
そこには、指揮者の息使いやオーラみないなものも大きく影響するんだと思いますが、とにかく練習を通してオーケストラが一つになっていくことも指揮をしていて面白いことの一つです。

田中: それでは、指揮者にとって大切なことは何でしょうか?

渡辺: 自分の意思をしっかり持ち、やりたいことを自信を持ってやるということです。
オーケストラの思うものと自分の思うものに違いがあったとしても、とにかく自分の信じるものを貫く強さが必要な時があります。
それは時に、楽団の反感を買うこともあるかもしれない。
それでも一貫性は必要です。

田中: 音楽的なことの他にも、そういった精神的強さも必要なのですね。
渡辺さんが指揮をしていて良かったな~と感じる時はどのような時ですか?

渡辺: 私の場合は劇場の指揮を多く経験しましたが、自ら開放され、劇場が一つになり自分自身が溶け込んだ時が何とも言えない素晴らしい感覚を味わえます。
また、音楽の中のあるきっかけや瞬間が全て自分の手に掛かっているということ。そしてそれが決まった時は鳥肌ものです。その瞬間がすごく好き!

田中: 何だかお話を聞いているだけでワクワクしてきますね!素晴らしいお仕事だということをつくづく感じます。
渡辺さんは日本でも数多くの舞台を経験されていらっしゃいますよね。私自身、日本にはクラシック音楽がまだまだ浸透していく余地があると考えます。
そういった点でどうお考えですか?

渡辺: 音楽は競争でもないし、こうしなきゃいけないというものでもありません。
自分達が楽しんで、人の心にとっての音楽の有り難味に感謝して産まれる音楽が、日本でも音楽を専門的に勉強されていない方々の間にもどんどん広がれば良いなと思います。

まぁ、楽しむ為にはそれなりに勉強も必要なんですけどね(笑)

田中: 音楽のもつ力や素晴らしさは万国共通ですよね。
一流のオペラが1,000円ちょっとで楽しめる時代が、いつの日か日本にもくると良いですね。

貴重なお時間を頂きまして有難う御座いました。
今回は、勉強しそして努力を続けていくことの大切さや意味の深さを、渡辺さんから改めて学ばせて頂いたように感じます。
最後になりましたが、これからの留学生へ向けて一言宜しくお願い致します。


渡辺: まず、言葉を勉強してください。
そしてそれは、出来ればドイツへ来る前からが理想的ですね。
言葉が出来れば、チャンスは多くなります!

またドイツでは、自分から積極的に動くこと、そして自分で責任をとって自立するかしないかがとても大切になります。
失敗しても良いんです!そこから一つひとつ学んでいくことが大切だと思います。
皆さんの留学生活が素晴らしいものとなるよう、心から応援しております。

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渡辺さん、貴重なお話をありがとうございました!!


テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/07/01(日) 00:00:00|
  2. 指揮

第五回目 高見信行さん

高見信行さん


<プロフィール>
1979年、岡山県生まれ。2003年東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。
独べルリン音楽大学オーケストラディプロム科、ソロ研究科修了。
今までに、ソリストとしてフォアポーメルン州立歌劇場オーケストラ、ライプツィッヒ州立吹奏楽団、東京フィルハーモニック交響楽団、神奈川フィルハーモニック管弦楽団、岡山フィルハーモニック管弦楽団などとトランペット協奏曲を共演。
Villa MusicaEnsembleでは、ブランデンブルク協奏曲第二番を演奏しそのコンサートの模様は、SWR(南西ドイツ放送ラジオ)にて、ライブ放送され好評を博す。オーディションを経て、オーケストラメンバーとして小沢征爾音楽塾オペラプロジェクト、東京藝大シンフォニア英国公演、別府アルゲリッチ音楽祭の音楽祭特別オーケストラ(金聖響)、シュトゥットゥガルト国際バッハアカデミーフェスティバル(ヘルムート・リリング)PMF(パシフィックミュージックフェスティバル)(ワレリー・ゲルギエフ)に参加。2004年よりJunge Deutsch Philharmonieメンバーとしてベルリン、ハンブルク、シュトゥットゥガルト、エッセン、ケルン、その他イタリア、スペイン、ポルトガル、などでも演奏会を行う。第19回日本管打楽器コンクールトランペット部門第2位(2002年)第75回日本音楽コンクールトランペット部門にて第1位(2006年)その他、ベルリンを中心としたドイツ各地にてベルリンフィルハーモニー管弦楽団、ベルリン州立歌劇場、ベルリンドイツオペラ、ベルリン交響楽団などに客演。フォアポーメルン州立歌劇場オーケストラと期間限定首席契約をする。日本でも、ベルリンフィルハーモニー金管五重奏団、ベルリン州立歌劇場の両来日公演に賛助出演。日本では、読売交響楽団、新日本フィル、東京交響楽団、名古屋フィル、アンサンブル金沢、九州交響楽団、神奈川フィルなどで賛助出演をしている。現在、独ロストック音楽大学大学院に在学すると共に、MDR(ライプツィッヒ・ドイツ中央放送)交響楽団(準メルクル)、バッハ・コレギエム・シュトゥットガルト(ヘルムート・リリング)にトランペット奏者として在籍している。今までに、板倉駿夫、杉木峯夫、関山幸弘、神代修、太田聡、トーマスクラモー(ベルリンフィル)、ウィリアム・フォアマン、ライナー・アウアバッハ(ベルリン州立歌劇場)各氏に師事。

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きらきーら高見信行さんにインタビューきらきーら

田中: 高見さんのドイツでの演奏会は何度か拝聴させて頂きましたが、高い音楽性と音色の良さにはいつもウットリさせて頂いています。
今回のインタビューを前々から大変楽しみにしておりました。今日はどうぞ宜しくお願い致します。

高見: ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願い致します。

田中: 早速ですが、高見さんがドイツ音楽留学を決められたきっかけをお話頂けますか?

高見: はい。中学2年生の頃、日本でベルリンフィルの演奏家達のレッスンがありました。そこで現在もフィルハーモニーのトランペット奏者を務めるトーマス・クラモー氏の演奏を聴き、「あんな音出せるようになりたい!!」と思ったんです。その時から、"ドイツにはどうすれば行くことが出来るんだろう"って考えて、その後の進路、高校や大学を選択しました。

田中: かなり早くからドイツ留学をお考えだったんですね。しかも徹底して。

高見: はい。それと、日本のユースオーケストラでヨーロッパ演奏旅行に参加した時に、やっぱりヨーロッパだ!って思ったんですよね。
先にはいつもドイツが、そして何よりトーマス氏の音楽がありました。

田中: そうでしたか。では、その後、どのようにして留学準備を進めていかれたのですか?

高見: 大学4年生の時、まず10日間ベルリンへ行き、幸運なことにトーマス氏のレッスンを毎日受けさせて頂きました。

田中: えっ?!毎日ですか??凄い!!凄くラッキーですよね、それ!!タイミングが良かったんでしょうね。トーマス氏もご多忙でしょうから。

高見: 1週間レッスンを受けた後ついに、彼からベルリン音楽大学の先生を紹介して頂きました。その先生の所へ行き「来年受験をしたいんです。」って伝えてVorspielenをしました。そしたら、先生から「このレベルならOKだよ。じゃ、来年受けにおいで。」って言って頂いて、もう嬉しくて嬉しくてすぐに公衆電話から日本の家族へ電話しましたよ。

そして次の年の3月に卒業し、6月の入試1週間前にベルリンにやって来ました。ホテルでの宿泊だったので本当は練習しちゃいけないんだろうけど、ミュート付けてずっと吹いてました。まぁ、やっぱり怒られましたけどね(笑) で、困ってたら知り合いからトランペット奏者の方を紹介して頂き、何とか練習場所は確保できました。そうして試験を受けて無事合格したのですが、ドイツ語が分からなくて合格したことも最初分かりませんでした(笑)

田中: それは面白いエピソードですね。それでは、その後本格的に留学を始めた頃のことをお話くださいますか?

高見: 次は8月終わりにベルリンに来て、一週間で住民登録などを済ませ一旦帰国しました。超ハイスピードでしょ?というのも帰国後すぐに、僕にとっては2回目の日本音楽コンクールがあったので急いで帰る必要があったんです。何とか受賞し、2日後にはまたドイツへ戻りました。僕のドイツ生活はその時からスタートしたんです。

田中: 行ったり来たりバタバタだったんですね!!しかし全てにおいて結果を残されていることで、何一つ無駄にはなっていません。
ところで、高見さんはその後もトーマス氏のレッスンを受けられているのですか?

高見: はい。今ではレッスンだけでなく一緒にご飯も食べる仲です。彼の音は永遠の憧れであり目標です。

田中: そんなトーマス氏の音は、言葉で表すとどの様なものですか?

高見: 太くて、丸くて、ハッキリして、キラキラしています。トーマス氏だけじゃなく、ベルリンフィルのトラッペット奏者は皆とにかく何でも出来るんですよ!どんな音でも変幻自在です。そんなトランペット奏者に成りたいと思っています。

田中: 高見さんの音楽を支えているものは、そこにあるようですね・・・。

高見: ビール!!・・・と言いたいところですが(笑) そうです!そんな理想の音に近づきたくて続けています。 
僕ね、今でも初めて聴いた時の彼の音が頭に響いているんです。「その音を再現したい!!」って思っています。少しずつですが近づいていきたいですね。

田中: そうですか。高見さんの美しい音は、いつもその理想を持って音楽造りされている結果ですね。

高見: ありがとうございます。でも、もちろんまだまだですよ!今後はトランペットの音だけでなく、トランペットで別のキャラクターをイメージし表現できるテクニックを磨いていきたいんです。色んな音が出せる奏者です。その為には、多くのコンサートに触れることが大切ですし、客観的に見てトランペットの持つキャラクターを追求していっているところです。見えないゴールを見る為に、小さなゴールを作り前へ進んで行きたいですね!


高見信行さん2



田中: 高見さんは練習も演奏活動も、凄く精力的ですね。トランペットを辞めたいなんて思ったことないのではないですか?

高見: そんなことありません!しょっちゅうですよ(笑)例えば大きな失敗をしたりした時なんて、楽器を投げたい衝動になりますね!!まぁ(値段が)高いし、投げないけど(笑)
そしてそんな時は2、3日楽器は吹かなくなります。でもね、やっぱり好きだから中毒みたいに吹き始めるんですよね~。

田中: 高見さんでもそんな大きな失敗するんですね。ちなみに今までで一番記憶に残る失敗は??

高見: ベルリン音楽大学に入って、初のシンフォニーコンサートで、マーラー5番のトランペットソロを任されたんですが、最初24小節のトランペットソロを思いっきりはずして、その後2、3分舞台の上で放心状態になり、次の入りも入れず、しかもそのパートもソロで・・・あぁ~~!!ホントあんなのもう嫌ですよ!!その後舞台裏で大泣きでした。

田中: ひえ~~!それは大したご経験をされましたね。では逆に、演奏をしていて嬉しかった思い出は何ですか?

高見: 2つあります。1つは、ドイツのクリスマスイブコンサートで教会でソロを吹いた時です。演奏を終えて階段を降りて行くと、沢山の方が集まってこられ、目をキラキラさせて「良かったよ!」って言ってハグやらキスまでされて、まぁそれはおばぁちゃんとかおばちゃんとかおっちゃんですけどね(笑) ホントもう、めちゃくちゃ嬉しかったですね。

そしてもう1つは、ユーゲントドイチェフィルハーモニーオケの一員となれ、最初のプロジェクトでストラビンスキーの春の祭典を演奏したんです。その時はそのプロジェクトのProbe(お試し)期間で、つまりまだちゃんとした一員ではなかったんですが、そこでピッコロトランペットのパートを演奏しました。コンサートツアーの最後に、トランペットの同僚から「コンサート素晴らしかったよ。これからもよろしく!」と言われた時は、認められたんだって思って嬉しかったです。

 その時の演奏を録音したCDはコチラ♪
 

田中: 素晴らしいですね。やはり演奏家は演奏をして評価されたいものですからね。そう言えば今年学生を卒業されるとのことですが、今後をどの様にお考えですか?

高見: 今までは学生の立場でしたから、受身ですよね。学びを与えられてきました。しかし、これからは徐徐に与えられたものを自分なりに発展させていかなければならないと思います。音楽家としてはたからは成功しているように見られますが、一寸先は闇。日々不安はあります。
今後どういう風に進んでいくかはまだ分かりませんが、でもとにかくどんな形であれ、どんな場所であれ、一音楽家として生きていきたいと思っています。

田中: 高見さんのトランペットや音楽に懸ける純粋な思いが伝わりました。今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。今後更なるご活躍を心よりお祈りしております。

最後になりましたが、今後の音楽家後進に向けて一言宜しくお願いします。

高見: 今、その時にしか出来ない事を、それぞれの場所で一生懸命していくことが大切だと思います。それは、場所なんて関係なくどこにいたって一緒です。素晴らしい人との出会いを大切に、色んなことを自分の肥やしにしていってもらいたいと思います。共に頑張っていきましょう!!


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高見さん、貴重なお話をありがとうございました!!


テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/06/01(金) 00:00:00|
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