BfMcompany★ドイツで活躍する日本人音楽家紹介

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第六回目 渡辺麻里さん

渡辺麻里さん


<プロフィール>
東京芸術大学指揮科卒業。
指揮を三石精一、エルヴィン・ボルンに師事。
幼少時の1962-65年に新聞社ドイツ特派員の父と家族でボン市に在住。この間、全ドイツ青少年ピアノコンクール(Deutscher Jugend- Klavierspiel-Wettbewerb)第三位入賞。65年ケルン室内管弦楽団とハイドン・ピアノコンチェルト(ニ長調)を共演した。
1978年再び渡独。ベルリン テアター・デス・ウェステンス劇場に、指揮者コレペティトールとして専属契約。その後、ベルリンの他ウィーン、クレーフェルト、ドルトムント、オランダ、シュトゥットガルトの劇場で「レ・ミゼラブル」「オリバー」「オペラ座の怪人」「三文オペラ」「マハゴニー・ソングシュピール」「メリー・ウィドウ」「天国と地獄」その他を指揮。日本では1998年以来、東京日生劇場にて「七つの大罪」、神奈川首都オペラ「椿姫」「ホフマン物語」「魔弾の射手」「ファウスト」の指揮を務めている。
2007年ベルリン現代音楽アンサンブル"ザイテンブリッケ"の指揮。
劇場での活動と並行して1990年以来ベルリン芸術大学オペラ科、声楽科の非常勤講師。

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きらきーら渡辺麻里さんにインタビューきらきーら

田中: 女性的な繊細さもあり、また時には大胆に曲をまとめ上げる。そんな渡辺さんの指揮を去年初めて拝見した時の衝撃は非常に大きかったことを覚えています。今日はそんな素晴らしい指揮者とお話出来ますことを、大変嬉しく思っております。どうぞ最後まで宜しくお願い致します。

渡辺: ありがとうございます。こちらこそ、どうぞ宜しくお願いします。

田中: では早速、渡辺さんがドイツに留学することになったきっかけからお話頂いて良いですか?

渡辺: はい。オペラ好きの父の影響もあり、元々オペラのコレペティトールになるのが夢だった私は、芸大の指揮科で学んでいた頃からドイツで勉強したいなと考えていました。そんな折、たまたまドイツの先生が大学の客員教授になられたので、思い切って彼に留学の相談をしてみたところ、「自分が住んでいたベルリンの住居が空いているから使わないか?」と言って頂きました。
私の場合それまで漠然としていたドイツ留学が、その言葉をきっかけに急にハッキリとしたものになっていったと言えます。

そして、当時丁度ベルリンにある『テアター・デス・ヴェステンス』という、ミュージカルとオペレッタの劇場が新しく改装されたとのことで、更に先生からは「良かったらそこで働いてみない?」という言葉を頂きました。

元々現地の音楽大学等に通うことを考えていなかった私は、これは良いチャンスだと思い、まずは日本から劇場へ手紙を送り、現地とのやり取りをし、ベルリンへ行くことがようやく決まったんです。

田中: 現地の音大で学ぶことを考えていらっしゃらなかったというのは、結構珍しいですね。
渡独後はどの様な環境で音楽の勉強をしておられたのですか?

渡辺: 渡独後、直ぐにテアター・デス・ヴェステンスの見習いとして働くことになりました。
コレペティの人の横にひっついて仕事を学ぶこと1ヶ月。その間には今までに勉強したことのないミュージカルやジャズの作品もありましたが、自分もピアノを弾かされたりなんかして、一応仕事はちゃんとこなせることを認めてもらいました。

渡辺: 色んな方々の協力を得、大変ながらも良いスタートを切った留学でしたが、両親からの仕送りは少なく、見習いの頃のお給料もごくわずかなものだったので生活が苦しかったんです。もう、家賃にしかならないくらいでした。そうすると、2ヶ月過ぎたころには既に生活費が底をつき始め・・・。これは何とかしなきゃ!ってずっと考えていましたよ。

だた、幸いその頃には劇場の専属指揮者兼コレペティとしても使ってもらえる様になり、劇場も新しいシーズンに入り毎日本番をさせてもらえたので、それで何とか生活が出来るようになりました。

劇場で働いていたことで、そこには他の劇場の方も観にきていて、関係者からお声を掛けてもらえたことも大変ラッキーでしたね。

田中: 留学後たった3ヶ月程度で音楽を仕事として、お給料も貰い生活しておられたことは凄いことですね!

渡辺: そうですね。ラッキーだったと思います。
きっとうまくいった原因の一つには、私が幼いころ父の仕事の関係でドイツに住んでいたことが大きいように思います。

「住んでた」と言っても、小さい頃のほんの3年程度なのですけどね。言葉はもちろん忘れていたのですが、不思議なことに何故かドイツ語のリズムみたいなものは耳に残っていたんです。なのでドイツ語の吸収も早かったです。
言葉を話せるのと話せないのでは、チャンスを掴めるかどうかも大きく違ってくるものです。

田中: そうですね。誰もが乗り越えなければいけない壁。それが言葉の壁ですね。
あの~突然ですが、麻里さんは今までにオペラもミュージカルも指揮してらっしゃいますよね?
その二つをやっていて何か違いはありますか?

渡辺: はい。まず歌手自体が違いますよね。
オペラは毎日毎日歌うことは無理ですし、逆にミュージカルの俳優さんは毎日でも公演されていますしね。

また、ミュージカルに関しては今と昔で違いを感じます。
始めのうちはそんな事なかったんだけど、今はマイクロフォンやシンセーサイザーを使う劇場が多くなってきて、大分質が変わってきたように思います。

音楽的に言うと、オペラはいつの時代も大変な思いで皆が仕上げますが、ミュージカルはその点少し大安売りな感じになってきたかな・・・と思うことがあります。
ただ、今でもロンドンなどで観るミュージカルや、小さな劇場でやっているミュージカルの中には、古き良きかたちのものがありますので、一概には言えません。

オペラもミュージカルもどちらが好きとか嫌いとかではなく、それぞれに面白みがあって良いものです。

田中: そうですね。それぞれに、面白みのある芸術だと私も思います。
ところで、渡辺さんはドイツに長くお住まいですが、ドイツで音楽を学ぶ醍醐味って何だと思いますか?

渡辺: ヨーロッパ音楽はヨーロッパで産まれたものですよね。
その音楽は、生活と言葉が非常に密接していると思うんです。
私達がドイツに来て何が学べるかというと、根源になるような文化、言葉、背景など全部まとめて、自分の表現の仕方が日本とは違うという事です。
そういうことを自分で体験出来ることが良いのではないでしょうか。

楽器の人もそうだけど、特に声楽家は言葉の違いからくる影響が非常に大きいです。
ドイツ語と日本語では、言葉自体の響きや色が違うので、日本人がヨーロッパ音楽をするとどうしてもフレーズが流れなかったり不自然だったりする場合が多くあります。
逆に、ヨーロッパの人が同じ曲を歌うと何故かシックリするという感じです。

ヨーロッパで生活し、文化を感じ、現地の言葉を喋る。
それだけでそのフレーズの違いを学ぶことは出来ますし、それが一番大きな「ドイツで音楽を学ぶ醍醐味」だと感じます。

私なんかも、もう30年近くドイツにいるのに未だにまだ勉強が足りないと思うことがありますよ。
普通の人が当たり前に知ってることなんかを知らなかったりすること、今でもありますからね。

だからって、私達日本人が持っているものが何もない訳じゃないんですよ。
その人それぞれに価値はあるので、一人ひとりの表現が音楽に生かされていくことが素晴らしく、また面白いのです。
ただ、やはりその為には表現方法も身につけなければいけないんですよね。だから私達は、これからもずっ~と勉強しなければいけません(笑)

田中: う~~ん。誰にも当てはまることだと思います。身に染みますね(笑)
指揮者の勉強も、ただひたすらに練習するだけではないと思います。指揮者の勉強とはどの様なものなのですか?

渡辺: 一言で言うと、譜面を読む勉強です。
指揮者は自分が譜面から読み取ったものを想像して、それを次は人に伝えなければいけません。

『譜面を読む』ということは、例えば一つのフレーズがあるとして、それをどう言う風に音楽にするかという事を読み取らなければいけないんです。
また毎回その感じ方や考え方が違わないくらいある程度まで納得した解釈にしていく必要があります。

あともう一つ。譜面を読むときには楽器のことが分かっていないと読めないんですよね。
楽器の造りだけでなく、息の使い方や音のスピード、テクニック的な部分も含めて知っていないと、作曲家の真の意図は読むことが出来ません。


田中: 音楽家の中でも、全てにおいて知識を要するのが指揮者だと言われます。物凄い勉強量ですね。
ところで指揮をされていると、元々自分の想像していた音楽と演奏家が実際演奏した音楽にギャップが生まれることもあると思うのですが、そこに葛藤などはありませんか?

渡辺: 全く無い訳ではもちろんありませんが、だからこそその為に練習があると思います。
不思議なもので、指揮者が変わればオーケストラの音も変わるものなんですよね。
そこには、指揮者の息使いやオーラみないなものも大きく影響するんだと思いますが、とにかく練習を通してオーケストラが一つになっていくことも指揮をしていて面白いことの一つです。

田中: それでは、指揮者にとって大切なことは何でしょうか?

渡辺: 自分の意思をしっかり持ち、やりたいことを自信を持ってやるということです。
オーケストラの思うものと自分の思うものに違いがあったとしても、とにかく自分の信じるものを貫く強さが必要な時があります。
それは時に、楽団の反感を買うこともあるかもしれない。
それでも一貫性は必要です。

田中: 音楽的なことの他にも、そういった精神的強さも必要なのですね。
渡辺さんが指揮をしていて良かったな~と感じる時はどのような時ですか?

渡辺: 私の場合は劇場の指揮を多く経験しましたが、自ら開放され、劇場が一つになり自分自身が溶け込んだ時が何とも言えない素晴らしい感覚を味わえます。
また、音楽の中のあるきっかけや瞬間が全て自分の手に掛かっているということ。そしてそれが決まった時は鳥肌ものです。その瞬間がすごく好き!

田中: 何だかお話を聞いているだけでワクワクしてきますね!素晴らしいお仕事だということをつくづく感じます。
渡辺さんは日本でも数多くの舞台を経験されていらっしゃいますよね。私自身、日本にはクラシック音楽がまだまだ浸透していく余地があると考えます。
そういった点でどうお考えですか?

渡辺: 音楽は競争でもないし、こうしなきゃいけないというものでもありません。
自分達が楽しんで、人の心にとっての音楽の有り難味に感謝して産まれる音楽が、日本でも音楽を専門的に勉強されていない方々の間にもどんどん広がれば良いなと思います。

まぁ、楽しむ為にはそれなりに勉強も必要なんですけどね(笑)

田中: 音楽のもつ力や素晴らしさは万国共通ですよね。
一流のオペラが1,000円ちょっとで楽しめる時代が、いつの日か日本にもくると良いですね。

貴重なお時間を頂きまして有難う御座いました。
今回は、勉強しそして努力を続けていくことの大切さや意味の深さを、渡辺さんから改めて学ばせて頂いたように感じます。
最後になりましたが、これからの留学生へ向けて一言宜しくお願い致します。


渡辺: まず、言葉を勉強してください。
そしてそれは、出来ればドイツへ来る前からが理想的ですね。
言葉が出来れば、チャンスは多くなります!

またドイツでは、自分から積極的に動くこと、そして自分で責任をとって自立するかしないかがとても大切になります。
失敗しても良いんです!そこから一つひとつ学んでいくことが大切だと思います。
皆さんの留学生活が素晴らしいものとなるよう、心から応援しております。

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渡辺さん、貴重なお話をありがとうございました!!


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テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/07/01(日) 00:00:00|
  2. 指揮

第三回 村上寿昭さん

murakamitoshiaki.jpg


<プロフィール>
東京生まれ。ピアノを塩野圭子氏に師事。
15歳より指揮を高階正光氏に師事。
桐朋学園大学にて指揮を小澤征爾、黒岩英臣、秋山和慶、各氏に師事。
大学在学中から、新日本フィルハーモニー交響楽団、サイトウ・キネン・オーケストラにて、その後も水戸室内管弦楽団、ウィーン国立歌劇場にて小澤征爾氏のアシスタントとして活躍。
1996、1997、2000、2004年サントリーホールオペラにてグスタフ・クーン、ダニエル・オーレン、ニコラ・ルイゾッティ、各氏のアシスタントを務める。
1997年渡独。ベルリン国立芸術大学でマティアス・フスマン教授に師事。また同時にウィーン国立音楽大学で、レオポルト・ハーガー教授、湯浅勇治氏に師事。
これまでに、ベルリン交響楽団、ハンガリー・セーゲット交響楽団、リトアニア国立管弦楽団を指揮している。
1999、2002年サイトウ・キネンン・フェスティバル松本、武満徹メモリアルコンサートを指揮。
2000年タングルウッド音楽祭にフェローとして参加し、小澤征爾、ロバート・スパーノ、アンドレ・プレビン各氏に師事。 また翌年にはアシスタントとして招待を受ける。
2001年サイトウ・キネン・オーケストラにてイェヌーファ、2002年小澤音楽塾にてドン・ジョバンニを指揮してオペラデビューを、またNECスーパータワーコンサートにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮しメジャーデビューを果たす。
2004年からはオーストリア・リンツ州立歌劇場にて、2006年よりドイツ・ハノーファー国立歌劇場にて、常任指揮者として活動中。


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きらきーら村上寿昭さんにインタビューきらきーら

【留学時代】

(現在多くの舞台で、指揮者としてご活躍中の村上さんですが、留学生時代はどのようなものでしたか?)

最初はドイツ語が話せなかったので、言葉が通じず大変苦労をしました。
日本人の先輩や親しくなったドイツ人に助けてもらいながら、日々努力し勉強をしてきたと思います。
今でも辞書を持ち歩いて、色々聞きながら生活をしていますよ。
やっぱり頑張ったと思いますよ、自分自身(笑)

(そうですね、留学初期には、とにかく生きていくことに必死ですからね。ところで村上さんは、指揮はいつ頃から始められたのですか?良ければその経緯もお伺いさせていただけますか?)

僕は14歳から指揮を習い始めました。
当時中学生だった僕は、桐朋の音楽教室の記念コンサートでマーラー8番の 子供の合唱を歌ったんですけど、その時シノーポリと高関健氏がいらして、そこで初めて彼らの指揮を見ました。

それまでずっとピアノという一つの楽器をやってきた僕は、指揮というのはものすごい大きな楽器を操っているんだなぁ。って、とてもカッコよく思ったんです。ピアノの先生に「指揮がやりたいんですけど」って言ったら、指揮の先生を紹介していただいて・・・それで本格的に指揮を始めました。


【小澤征爾先生との出会い 】

(村上さんについての記事などを拝見させていただいていますと、小澤征爾先生のお名前をよく目にします。村上さんと小澤征爾先生の出会いをお聞かせくださいますか?)

僕は桐朋の学生時代に小澤先生に出会いました。
桐朋学園の先生の一人に、「小澤先生の練習が見たい」と自分から相談してみました。そしたら、「じゃ、サイトウキネンでバイトがあるからしてみるか」と言っていただき、ライブラリーで楽譜の仕事を手伝ったりしたのがきっかけで、そこから10年間は先生がいらっしゃる所にずっとついて行きました。

最初は、先生の楽屋に行ったりして何でもいいから話したくて、セリフも全部考えて覚えていくんですけど、足なんかめちゃくちゃ震えちゃって(笑)
先生の冗談をまともにとらえて笑われたり、恋愛相談なんかもしていました。とにかく何でもお話させていただいていましたし、先生はいつも僕の言葉にちゃんと耳を傾けてくださいました。良い思い出です。 先生にはいつまでもお元気でいてほしいと、心からそう願っています。

仕事をし始めて、先生とお会いする機会もウィーンにいた頃よりグンと減ってしまいました。それに加えて、日々勉強を必死でしていても、僕一人の力では迷いや悩みが出てくることがあります。そんな時はいつも、先生の言葉や「先生はどうやってたかな」などと考えては試行錯誤しています。しかし先日、久々に先生の演奏を聴く機会を与えられたときには「自分はまだまだだけど、自分の歩んでる道は間違っていないんだ。」そう思うことができました。それと同時に、「自分にもまだまだやれることがあるぞ!」と意欲が出てくるんですよね。

それに昔から、先生のところへお伺いさせていただくと、怒られてないのに怒られた気分になるんですよね~(笑)
自分は若いんだからもっと頑張んなきゃとか思ったりして。
それで、先生にお会いした後、次に会うときまでにはもっと成長しておこうと思って頑張るんだけど、先生がさらに成長なさっていて(笑)
本当にすごい方です。

(小澤先生の勉強には終わりがなく、朝も早くから楽譜をお開きになると伺ったことがあるのですが…)

そうです。パーティーとかで前の晩どんなに皆と遅くまで騒いでも、朝はきっちり早起きされて勉強されてるみたいですよね。とにかく、先生という素晴らしい方を目の前で見て勉強することができ、自分の目標にすることが出来た。そのことを本当に幸せに思っています。

(そんな小澤先生のアシスタントをされていた時のお話をお聞かせくださいますか?)


【小澤征爾先生のアシスタント時代】

とにかく何でもしました!
先生のアパートの掃除や楽譜の整理、音楽の面でも先生にくっついて毎日を過ごし、本当に貴重な教えを賜りましたし、それだけでなく先生は僕なんかの意見にもいつもちゃんと耳を傾けてくださいましたので、とにかく良く意見し合い会話をさせていただいていました。 また、「指揮者として、人とどのように接すべきなのか?」という学びも、僕にとっては大変大きなものです。

僕、実際先生にレッスンを見ていただいたことって指折り数える程なんですよ、実は。
でも、先生がされていらっしゃることを、いつも間近に見させて頂いていた訳ですから、そこからの学びはすごく価値のあるものです。

(村上さんにとっての師は、やはり小澤先生でしょうか?)

もちろん小澤先生でありますし、現在ウィーン国立音楽大学で指揮を教えていらっしゃる湯浅勇治先生、自分が小さい頃からピアノを師事した先生、指揮を一から学ばせていただいた先生・・・とにかく自分に関わって下さった全ての方々が僕の大切な師だと思っています。

僕が今やっていることは、今述べた師から学んだことを基に自分なりに発展させてやっているだけなんです。だから失敗すると、先生方のお顔を思い出したりして(笑)

(何というか、村上さんの出会いは本当に素晴らしいですね。)

自分でもとってもラッキーだと思っています。幸せです。
あと、僕サイモン・ラトルにも出会ったんです。


【ラトルとの出会い】

ウィーンフィルの日本ツアーが、ベートーヴェン全曲というプログラムだったんですけど、幸運にも東京オペラシンガーズの第九の合唱指揮に僕が選ばれたんです。その時、ラトルと一緒に過ごした時間がものすごく素晴らしくて、僕にとって音楽家としての人生観が変わった時でした。

(それは、一体どのようにですか?)

その前にニューヨークテロの911がありましてね、僕はその1ヶ月前くらいまでニューヨークにいたんですよ。もう、ものすごくショックでした…。
その時、音楽家たちが「こんな時だからこそ音楽をしよう!」といって演奏活動をしていたんですが、僕はショックがあまりにも大きくて…「何で音楽やってんだろう」なんてことまで考えた時期だったんです。

そんな時、ラトルに出会いました。

彼はね、「音楽は愛だよ」って言うんです。
僕が言うとクサイくなっちゃうんですけどね(笑)
音楽に対する愛情。作品に対する愛情。一緒に音楽をする者への愛情。聴いてくださるお客さん一人ひとりに対する愛情。それから、僕みたいな若者に対する愛情。

その時のサントリーホールでの演奏は、実に素晴らしい演奏でした。
僕も含めて沢山の方が涙していた。すごい拍手だったし、良い演奏をするとこれだけの人に感動を与え、良いエネルギーを造り上げることが出来るんだ!と肌で感じました。

そこから、人間愛とか一期一会といったものを心掛けるようになったんです。
僕も人間ですから、難しい時もありますけどね(笑)

(村上さんとお話させていただいて、すごく活動的でいらっしゃるなと感じるのですが、どこからそのパワーが出ていると思われますか?)

やっぱり、色んな人と出会って、特に音楽家でない人に出会った時に、自分が大好きな音楽を伝えたい!!って思うんです。それかな?(笑)

(それは村上さんの人との関わり方にも通じるように思いますが、どうですか?)

指揮者にとって、人への接し方は特に大切ですよね。でもそういった面においても、先ほどお話した各師に教えて頂いたと思います。
まだまだ、僕も下っ端ですからね~ 。だから、日々勉強です! 頑張ります!

(今日は、貴重なお時間をありがとうございました。それでは最後に、これからの音楽留学生へのメッセージをお願します。)


【これからの音楽留学生へ】

ドイツはとっても恵まれた国です。
日本の本屋さんもあるくらいだし、日本人も沢山いるので日本語も好きな時に喋れますしね。 だけど、音楽家として生きていくのは本当に大変なことです。
音楽が好きだという気持ちは一番大切だけど、それに加え自分が生きていくことも考えなければいけません。

今は環境自体がすごく恵まれたものになっていると思うんです。
費用がありタイミングが良ければ、それだけで留学するチャンスを誰もが持つことができます。もちろん、それは物凄く幸せなことですよね。でも、その幸せな環境を充分に利用出来ている人はどれくらいいるのかなぁ~、とふと考えることもあります。得に、しっかりとした夢や志を持って留学して来られる方が徐々に減っている気もしないではありません。もちろんそうではない多くの学生が、この地では一生懸命頑張っていますので、刺激を与えられることも多いですけどね。だからこそ、前者に対しては否定の気持ちと言うよりも、「もったいないなぁ」という残念な気持ちになるものです。

僕はね、本当に音楽が大好きです。
その音楽というものは、競争の世界では決してない。自分が楽しみ、聴いてくださっている方々を楽しませるものです。

そもそもの音楽の捉え方を自分なりにしっかりと持った上で、夢や志を大切に勉強を続けていかれることを願っています。

『素晴らしい力を持つ音楽に、純粋な気持ちで向き合っていく』
そんな音楽家でいたいものですね。


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村上さん、貴重なお話をありがとうございました!!



テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/04/01(日) 00:00:00|
  2. 指揮

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