BfMcompany★ドイツで活躍する日本人音楽家紹介

ドイツ音楽留学をお考えの方必見!現在活躍されるプロの音楽家がご自身のドイツ音楽留学体験や留学生後進へのメッセージetc.を愛情たっぷり語ってくださっています★

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第四回目 久保摩耶子さん

久保摩耶子1


<プロフィール>
大阪音楽大学ピアノ科卒業。1972年よりウィーンにて作曲をロマン・ハウベンシュトック‐ラマティ、エリヒ・ウアバンナー各氏に師事。平行して音楽史と哲学を学ぶ。1980年より渡独。ハノーファーとシュトゥットゥガルトにてヘルムト・ラッヘンマンに師事。1982年バレエ組曲"Mothers,Children,Lovers,People"がTanz'80ウィーン音楽週間において初演される。1985年ベルリンに移住。現代音楽協会 "ZeitMusik"の創立会員であり、コンサートの企画運営やシンポジウム、イベントなど幅広く手掛ける。1990年~1994年にはローマのマリノに住み作曲活動を行う。1991年音楽ビエンナーレ・ベルリンにおいて"Berlinisches Tagebuch"初演。1996年オーストリアのグラーツにて、オペラ『Rashomon』が初演され、作曲家として輝かしい出世を果たす。2002年には日本版『羅生門』が東京で初演され、絶賛の渦を巻き起こした。2005年2月東京の新国立劇場にて初演された2作品目のオペラ「おさん」にても大きな成功を収める。更にアンサンブル・サイテンブリッケを創立し、同時に3作品目となるオペラ『いざなぎ』を作曲中。Young Asian Chamber Orchestra Berlin "YACOB"音楽監督。


これまでに、国際交流基金会員(1999年)、連邦芸術協会ラインスベルク奨学生(2000年)、ハンザ科学研究所会員(2002年)、ヤッド財団会員(2004年~2007年)、ボイヤスコ財団会員(2006年)を勤める一方で、東京、福島、京都、ウィーン、グラツ、ベルリン、ケルン、ハンブルクの芸術大学及び音楽大学にて現代音楽や現代作曲の講演も行っている。

作曲スタイルはクラッシク音楽はもちろんのこと、実験音楽、サウンド アートにも通じ、ダンスや演劇、オペラなど多数のメディアとの取り組むことに基づいている。

作品は多くの国際音楽祭にて、Peter Eoetvoes、 Sylvain Cambreling、 Bernd Kontalsky、 Herbert Henck、 Martin Mumelter、 Eberhard Blum、 Konrad Junghaenel、 南ドイツラジオシンフォニーオーケストラ・シュトゥットゥガルト、南西ドイツラジオオーケストラ、グラツァー管弦楽団、京都シンフォニーオーケストラ、東京管弦楽団、スコラカントールム、ウィーンクランクフォルム、Ensemble Modern,Hagen-Quartett,Ensemble Saitenblickeなどの有名な演奏家やオーケストラによって演奏されている。
現在では既に70以上の作品が、アリアドネ出版社、Breitkopf&Haertel、Neue Musik出版社より出版されている他、9枚のCDがリリースされている。

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Mayako Kubo HP
公式サイトはコチラ→
http://www.mayakokubo.de/index.html


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きらきーら久保摩耶子さんにインタビューきらきーら

現代作曲家として国内外でご活躍中の久保摩耶子さん。
今回はベルリン郊外にある美しく静かなアトリエにて、作曲を始めたきっかけやプロになるまでの経緯をお聞かせいただきました。
彼女が今、若い音楽家に伝えたいこととは?

田中: 早速ですが、久保さんがドイツへ来られたきっかけをお話くださいますか?

久保: 何だか随分昔のことですので、今日は出来るだけ思い出してお話させていただきますね。

私は始めウィーンへ8年間留学しました。ドイツへはその後です。
日本にいるときから、自分のやっている音楽に何となく疑問を持っていたんです。
実家は神戸なんですが、よく海を見ながら 「あぁ、あの海の向こうに行って本物のヨーロッパ音楽を見極めなきゃ!」と思っていました。
でもそんなこと親に言うと、音楽大学へ進むことでさえ反対だったのに海外に行くなんて 「ありえない!早くお嫁に行きなさい!」といった風で、完全に反対されてしまいました。

でもそこを何とかうまく騙して・・・

田中: 騙すとは・・・(笑)

久保: 「一年経ったら絶対帰ってきます!」とか何とか言ってね。ホント嘘八百ですよね~(笑)
とにかくそれで留学させてもらえることになって、とうとう受験の日がきました。
今とは受験の内容も違うのだろうけど、当時まず私はピアノで受験したんです。
でも残念ながら不合格。
どうしよう・・・って思ってると、その1週間後に作曲科の試験があると聞いて、とにかく受けてみました。
作曲に関して知識はゼロだったけど、試験内容は日本でやってた聴音や楽典と同じだったので何とかクリアーできました。

晴れて合格はしたものの、その後は本当に大変な道に入ったと思いましたね(笑)

とにかくゼロからのスタートで、全てが新しい知識。
作曲や電子音楽の勉強もして、本当に楽しい学生時代でした。

しかし当時のウィーンはまだ未開国であり伝統の国でした。
女性が作曲をやっているなんてありえない話で、教授からの陰湿なイジメも受けました。

例えば、問題を与えられほんの少しミスをしただけで 「あぁ、お前は女学生かぁ。だからこんな問題も間違うんだな。」なんて、皆の前で大きな声で言われたり。
「このやろ~~~!!くやしい~~~!!」って感じですよね(笑)
でも後々思うと、実はそれが自分にとって大変プラスになったのは間違いありません。

私はいつも自分の知識のなさに劣等感を感じていたため、とにかく勉強しました。教授のイジメに勝つにも勉強しかなかった。
そうやって、学校も結局トップの成績で卒業できましたし、結果オーライと言ったところです。

田中: 卒業された後はどうなさったのですか?

久保: 4年間の大学生活を終えたわけですが、そんな短期間の勉強でヨーロッパ音楽が理解出来るとは全く思っていませんでした。
もっと深く学ぶ為には、ヨーロッパ哲学や音楽学を学ぶ必要があると常々感じていたので、音楽大学と平行して一般大学への入学も希望しました。

でも、そこからの2年間は更に勉強勉強の日々。

まず、大学に入るために必要な試験をパスする為にはラテン語、歴史、地理、経済と必要だったんです。
2年掛かりました。
特に大変だったのがラテン語です。
もう部屋中に単語を貼り付けて、ご飯を食べる時にはラテン語のテープを聞いたり。
ドイツ語でさえ大変なのに、次はラテン語と・・・もちろん作曲の勉強も続けていますので、朝から晩まで寝る暇を惜しんで勉強しました。
若かったから体力はあったんでしょうね~。必死でやっていることで両親の信用も得て、送金も何とか続けてくれました。

その後、大学修士に進もうと考えた頃には作曲の仕事が既にあり、ありがたいことに忙しくなりました。
しかしそんな中でも、やっぱり自分はもっと勉強したいと思い、次にウィーンを離れドイツか当時まだメシアンのいたパリか、どちらに移住するか迷いました。
パリは凄く魅力的だったけど、ドイツ語やってラテン語やって、次にまたフランス語か~!!と言う具合に語学の苦労が嫌になって、結局ドイツを選びました。

田中: そうやってドイツ留学が始まったわけですね。

久保: そうですね。まずドイツ・ハノーファーへの留学を決めました。その後はベルリンです。

壁が崩壊する前のベルリンという所は、芸術家にとって天国でした。
当時西ドイツに行きたがる若者を何とかして留まらす為にも、若い芸術家に対しての国からの支援がすごかったんです。
演奏会も月に一度は開いていました。
壁の崩壊後は次は東を助ける為に国が必死になり、芸術家への支援も減りましたけど、壁の崩壊を目の前にしていわゆる無血革命というものがあるんだと思い、人間て悪くないものだなぁとも感じました。ポジティブな意味でですが。

本業の方では、その頃もう作曲の依頼がありましたので生活には困らなかったものの、当時は仕事があまりにも多くせっかく手に入れた家庭においても沢山のストレスを抱えることになってしまい、「私の人生何なの?作曲なんて!!」という思いを初めて持ち、当分作曲に打ち込めなかった時でもありましたが、今となってはその時こそが私にとって改めて作曲というものをゼロから考え直すことのできた良いチャンスだった様にも思います。

田中: 90年代には特に重要な作品をお作りになられたようですが、そういった背景があってこそ産まれた作品なのかもしれませんね。
特にオーストリアや日本で発表された『羅生門』はかなり好評だったと存知上げております。

久保: そうですね。そういった、人生に起こった全てのことが作品には反映されると思います。
『羅生門』は96年にオペラ初演が実現されました。そのチャンスと成功は私にとって大変大きな収穫であり、40歳であったその時、自分は一生作曲に生きようと覚悟しました。

田中: その時が覚悟の時ですか。かなり長い道のりでしたね。

久保: そうですね。それまではピアノの先生などをこなしつつ生活していたのですが、覚悟した後は、いわゆる副業は一気に全て辞めました。
もちろんちゃんと生活費を計算した上でですよ(笑)

田中: 音楽一本で生活している人は限られていますので、本当に幸せなことだと思います。

久保: 自分は副業(アルバイト)禁止派なんですが、でも社会を知る意味でアルバイトすることは何も悪くないと思います。
まぁ、個々の考え方ですけどね。問題は、信念や責任を持って行動しているかどうかということです。
外国で暮らすということは、若い時は良いけれど、歳をとってからは生きていくのがかなり大変になります。
仕事もないし、年金もないし、健康保険もない・・・なんていうと生きていけません。
そんな時誰かの、しかもドイツのお世話になるのは無責任ではないかと感じます。
これからの留学生には、そういったことをしっかり考えた上で強く生きてほしいものです。

田中: なかなか、音楽家にとってチャンスというものは少ないように思います。難しい問題ですね。
しかしながら、久保さんにとっては『羅生門』が一つのチャンスだったようですね。
そのチャンスはご自分ではどのように掴んでいったとお考えですか?

久保: とにかく若い音楽家には、「どんなチャンスも逃すな!!」と声を大にして言いたいですね。
というのも若い頃の私は、今考えてもチャンスを沢山逃してきたと感じるからです。

本当に自分は思い上がっていたと思いますよ。
マネージメントの関係で、例えば「~さんに曲を書いてください。」なんて言われると、外交的でなかった私は「今忙しいですから無理です!」の一言でその人との関係を切ってしまっていました。今思えば、よくもまぁそんなこと言えたもんだ!とホントに恥ずかしくなりますが、当時の私は残念ながらそうだったんです。
でも、そういったデビューのチャンスや発表のチャンスを逃したのは事実で、気づいた時にはもう遅い。

だからこそ、今の若い音楽家の皆さんには、チャンスに喰らいついて、その次のチャンスその次のチャンスその次・・・と上がっていってほしいんです。
チャンスは目に見えない上に、どれがチャンスなのかも分からないものです。
だからこそ、いつそのチャンスが来ても受け止められるように、チャンスをすくう溝を一生懸命作っておく必要があるように思います。

田中: 他にも若い音楽家に伝えたいことがあればお話ください。

久保: ドイツに留学する人というのは、つまりはヨーロッパ音楽を学びにきたということですよね。
もちろん技術などを学ぶのでしょうが、ヨーロッパ音楽というものは本当に根が深いんです。
そこを学ぶことで、ドイツへ留学する価値がグンと上がるのではないでしょうか。

ヨーロッパ音楽の起源や教会音楽の進歩など学んでいくと、ギリシャ文明、エジプト文明、バビロニア文明等多くの歴史が見えてきます。
そういったことを知らずに、ベートーヴェンなどのことを知ることが出来るはずがないと思います。
例えばジプシー音楽であれば、単にハンガリーの音楽だと言うのではなく、ハンガリーは昔トルコに占領されていて、だからジプシー音楽にはトルコ民族が深く関わっているのだということを知っているだけで、学ぶ楽しさも増すし、そこから出てくる音楽も違ってくると思うんです。

ヨーロッパの歴史に抵抗なく触れることが出来るのが、ヨーロッパへ留学した醍醐味ですよ。
食事や文化も直に肌で感じ、音楽と歴史の繋がりを知っていくことが出来ますからね。

履歴書に書く為だけの留学はもったいないです。
個人的思いを言えばLiebe(愛)も学んでほしいですね(笑)
恋愛も音楽にとってはとても大切な要素ですから。

日本人て、あんまり先生に向かって意見を言わないでしょ?でもそれはとっても不自然に感じます。
そんなことを言いつつ、私も日本にいた時は例外ではありませんでした。でも先生からの指示に対して、いつも「いや違う!私はここはもっとこうしたいんだ!」っていう欲求はありました。しかしその頃は、何故自分はそう弾きたいのか?どうしてその様になるのか?という裏付けがなかったんです。つまりは知識がなかった。
音楽学を学んだのもその為でもあったように思います。
自分の意思や信念を持つ為にも、やはり学びは重要です。限られた時間の中での勉強方法が鍵です。

田中: そうですね。あの~、唐突な質問になってしまいますが、久保さんは今までに作曲を辞めようと思われたことはありますか?

久保: "Was kann ich? Ich kann nur Komponieren"
(私には何が出来る?作曲のみだ。)
かっこよく言うとそんな感じでしょうか(笑)
作曲をやっている時は楽しくて仕方ないんです。魚が水の中をすいすい泳ぐみたいに。
「作曲をやっていてストレスはありますか?」なんて聞かれるとしたら、「ご飯より好き!」って答えます。

田中: 個人的イメージですが、曲のアイデアがなくて煮詰まる人とか多そうですが・・・

久保: あ、そう?(笑)座ってりゃいつか出てくるわよ!いつか出てくるから絶対大丈夫。

田中: そうですか。そうやって産まれた作品が世に出る時は、かなりワクワクするのでしょうね。

久保: ええ。でも、結局私は作品を産むことしか出来ません。演奏家がいて初めて作品を発表できるんです。
私は音楽家を大切に出来る作曲家でありたいと常々思っています。
子供(作品)を手渡し、私の音楽を演奏家本人のものとして演奏してもらいたいと願っています。
正直言うとこういった気持ちになったのもつい最近のことです。前なんて、「何でこの人こんなことも出来ないの!」って思ったりもしてたんです。でも、そうではないという気持ちを持ち、今は演奏家一人ひとりに感謝しています。

田中: 最後に、久保さんにとって音楽とは何ですか?

久保: Hobby ist Musik.(趣味が音楽) Arbeit ist Musik.(仕事が音楽)Mein Leben ist Musik !!(人生が音楽 !!)
自分はすごく幸せな人種に属していると思います。だからこそ、怠けてはいけない。感謝をもって音楽と向き合わなければいけないと思っています。

久保摩耶子2



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久保さん、貴重なお話をありがとうございました!!

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テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/05/01(火) 00:00:00|
  2. 作曲

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