BfMcompany★ドイツで活躍する日本人音楽家紹介

ドイツ音楽留学をお考えの方必見!現在活躍されるプロの音楽家がご自身のドイツ音楽留学体験や留学生後進へのメッセージetc.を愛情たっぷり語ってくださっています★

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

第四回目 久保摩耶子さん

久保摩耶子1


<プロフィール>
大阪音楽大学ピアノ科卒業。1972年よりウィーンにて作曲をロマン・ハウベンシュトック‐ラマティ、エリヒ・ウアバンナー各氏に師事。平行して音楽史と哲学を学ぶ。1980年より渡独。ハノーファーとシュトゥットゥガルトにてヘルムト・ラッヘンマンに師事。1982年バレエ組曲"Mothers,Children,Lovers,People"がTanz'80ウィーン音楽週間において初演される。1985年ベルリンに移住。現代音楽協会 "ZeitMusik"の創立会員であり、コンサートの企画運営やシンポジウム、イベントなど幅広く手掛ける。1990年~1994年にはローマのマリノに住み作曲活動を行う。1991年音楽ビエンナーレ・ベルリンにおいて"Berlinisches Tagebuch"初演。1996年オーストリアのグラーツにて、オペラ『Rashomon』が初演され、作曲家として輝かしい出世を果たす。2002年には日本版『羅生門』が東京で初演され、絶賛の渦を巻き起こした。2005年2月東京の新国立劇場にて初演された2作品目のオペラ「おさん」にても大きな成功を収める。更にアンサンブル・サイテンブリッケを創立し、同時に3作品目となるオペラ『いざなぎ』を作曲中。Young Asian Chamber Orchestra Berlin "YACOB"音楽監督。


これまでに、国際交流基金会員(1999年)、連邦芸術協会ラインスベルク奨学生(2000年)、ハンザ科学研究所会員(2002年)、ヤッド財団会員(2004年~2007年)、ボイヤスコ財団会員(2006年)を勤める一方で、東京、福島、京都、ウィーン、グラツ、ベルリン、ケルン、ハンブルクの芸術大学及び音楽大学にて現代音楽や現代作曲の講演も行っている。

作曲スタイルはクラッシク音楽はもちろんのこと、実験音楽、サウンド アートにも通じ、ダンスや演劇、オペラなど多数のメディアとの取り組むことに基づいている。

作品は多くの国際音楽祭にて、Peter Eoetvoes、 Sylvain Cambreling、 Bernd Kontalsky、 Herbert Henck、 Martin Mumelter、 Eberhard Blum、 Konrad Junghaenel、 南ドイツラジオシンフォニーオーケストラ・シュトゥットゥガルト、南西ドイツラジオオーケストラ、グラツァー管弦楽団、京都シンフォニーオーケストラ、東京管弦楽団、スコラカントールム、ウィーンクランクフォルム、Ensemble Modern,Hagen-Quartett,Ensemble Saitenblickeなどの有名な演奏家やオーケストラによって演奏されている。
現在では既に70以上の作品が、アリアドネ出版社、Breitkopf&Haertel、Neue Musik出版社より出版されている他、9枚のCDがリリースされている。

---------------------------------------------------
Mayako Kubo HP
公式サイトはコチラ→
http://www.mayakokubo.de/index.html


******************************

きらきーら久保摩耶子さんにインタビューきらきーら

現代作曲家として国内外でご活躍中の久保摩耶子さん。
今回はベルリン郊外にある美しく静かなアトリエにて、作曲を始めたきっかけやプロになるまでの経緯をお聞かせいただきました。
彼女が今、若い音楽家に伝えたいこととは?

田中: 早速ですが、久保さんがドイツへ来られたきっかけをお話くださいますか?

久保: 何だか随分昔のことですので、今日は出来るだけ思い出してお話させていただきますね。

私は始めウィーンへ8年間留学しました。ドイツへはその後です。
日本にいるときから、自分のやっている音楽に何となく疑問を持っていたんです。
実家は神戸なんですが、よく海を見ながら 「あぁ、あの海の向こうに行って本物のヨーロッパ音楽を見極めなきゃ!」と思っていました。
でもそんなこと親に言うと、音楽大学へ進むことでさえ反対だったのに海外に行くなんて 「ありえない!早くお嫁に行きなさい!」といった風で、完全に反対されてしまいました。

でもそこを何とかうまく騙して・・・

田中: 騙すとは・・・(笑)

久保: 「一年経ったら絶対帰ってきます!」とか何とか言ってね。ホント嘘八百ですよね~(笑)
とにかくそれで留学させてもらえることになって、とうとう受験の日がきました。
今とは受験の内容も違うのだろうけど、当時まず私はピアノで受験したんです。
でも残念ながら不合格。
どうしよう・・・って思ってると、その1週間後に作曲科の試験があると聞いて、とにかく受けてみました。
作曲に関して知識はゼロだったけど、試験内容は日本でやってた聴音や楽典と同じだったので何とかクリアーできました。

晴れて合格はしたものの、その後は本当に大変な道に入ったと思いましたね(笑)

とにかくゼロからのスタートで、全てが新しい知識。
作曲や電子音楽の勉強もして、本当に楽しい学生時代でした。

しかし当時のウィーンはまだ未開国であり伝統の国でした。
女性が作曲をやっているなんてありえない話で、教授からの陰湿なイジメも受けました。

例えば、問題を与えられほんの少しミスをしただけで 「あぁ、お前は女学生かぁ。だからこんな問題も間違うんだな。」なんて、皆の前で大きな声で言われたり。
「このやろ~~~!!くやしい~~~!!」って感じですよね(笑)
でも後々思うと、実はそれが自分にとって大変プラスになったのは間違いありません。

私はいつも自分の知識のなさに劣等感を感じていたため、とにかく勉強しました。教授のイジメに勝つにも勉強しかなかった。
そうやって、学校も結局トップの成績で卒業できましたし、結果オーライと言ったところです。

田中: 卒業された後はどうなさったのですか?

久保: 4年間の大学生活を終えたわけですが、そんな短期間の勉強でヨーロッパ音楽が理解出来るとは全く思っていませんでした。
もっと深く学ぶ為には、ヨーロッパ哲学や音楽学を学ぶ必要があると常々感じていたので、音楽大学と平行して一般大学への入学も希望しました。

でも、そこからの2年間は更に勉強勉強の日々。

まず、大学に入るために必要な試験をパスする為にはラテン語、歴史、地理、経済と必要だったんです。
2年掛かりました。
特に大変だったのがラテン語です。
もう部屋中に単語を貼り付けて、ご飯を食べる時にはラテン語のテープを聞いたり。
ドイツ語でさえ大変なのに、次はラテン語と・・・もちろん作曲の勉強も続けていますので、朝から晩まで寝る暇を惜しんで勉強しました。
若かったから体力はあったんでしょうね~。必死でやっていることで両親の信用も得て、送金も何とか続けてくれました。

その後、大学修士に進もうと考えた頃には作曲の仕事が既にあり、ありがたいことに忙しくなりました。
しかしそんな中でも、やっぱり自分はもっと勉強したいと思い、次にウィーンを離れドイツか当時まだメシアンのいたパリか、どちらに移住するか迷いました。
パリは凄く魅力的だったけど、ドイツ語やってラテン語やって、次にまたフランス語か~!!と言う具合に語学の苦労が嫌になって、結局ドイツを選びました。

田中: そうやってドイツ留学が始まったわけですね。

久保: そうですね。まずドイツ・ハノーファーへの留学を決めました。その後はベルリンです。

壁が崩壊する前のベルリンという所は、芸術家にとって天国でした。
当時西ドイツに行きたがる若者を何とかして留まらす為にも、若い芸術家に対しての国からの支援がすごかったんです。
演奏会も月に一度は開いていました。
壁の崩壊後は次は東を助ける為に国が必死になり、芸術家への支援も減りましたけど、壁の崩壊を目の前にしていわゆる無血革命というものがあるんだと思い、人間て悪くないものだなぁとも感じました。ポジティブな意味でですが。

本業の方では、その頃もう作曲の依頼がありましたので生活には困らなかったものの、当時は仕事があまりにも多くせっかく手に入れた家庭においても沢山のストレスを抱えることになってしまい、「私の人生何なの?作曲なんて!!」という思いを初めて持ち、当分作曲に打ち込めなかった時でもありましたが、今となってはその時こそが私にとって改めて作曲というものをゼロから考え直すことのできた良いチャンスだった様にも思います。

田中: 90年代には特に重要な作品をお作りになられたようですが、そういった背景があってこそ産まれた作品なのかもしれませんね。
特にオーストリアや日本で発表された『羅生門』はかなり好評だったと存知上げております。

久保: そうですね。そういった、人生に起こった全てのことが作品には反映されると思います。
『羅生門』は96年にオペラ初演が実現されました。そのチャンスと成功は私にとって大変大きな収穫であり、40歳であったその時、自分は一生作曲に生きようと覚悟しました。

田中: その時が覚悟の時ですか。かなり長い道のりでしたね。

久保: そうですね。それまではピアノの先生などをこなしつつ生活していたのですが、覚悟した後は、いわゆる副業は一気に全て辞めました。
もちろんちゃんと生活費を計算した上でですよ(笑)

田中: 音楽一本で生活している人は限られていますので、本当に幸せなことだと思います。

久保: 自分は副業(アルバイト)禁止派なんですが、でも社会を知る意味でアルバイトすることは何も悪くないと思います。
まぁ、個々の考え方ですけどね。問題は、信念や責任を持って行動しているかどうかということです。
外国で暮らすということは、若い時は良いけれど、歳をとってからは生きていくのがかなり大変になります。
仕事もないし、年金もないし、健康保険もない・・・なんていうと生きていけません。
そんな時誰かの、しかもドイツのお世話になるのは無責任ではないかと感じます。
これからの留学生には、そういったことをしっかり考えた上で強く生きてほしいものです。

田中: なかなか、音楽家にとってチャンスというものは少ないように思います。難しい問題ですね。
しかしながら、久保さんにとっては『羅生門』が一つのチャンスだったようですね。
そのチャンスはご自分ではどのように掴んでいったとお考えですか?

久保: とにかく若い音楽家には、「どんなチャンスも逃すな!!」と声を大にして言いたいですね。
というのも若い頃の私は、今考えてもチャンスを沢山逃してきたと感じるからです。

本当に自分は思い上がっていたと思いますよ。
マネージメントの関係で、例えば「~さんに曲を書いてください。」なんて言われると、外交的でなかった私は「今忙しいですから無理です!」の一言でその人との関係を切ってしまっていました。今思えば、よくもまぁそんなこと言えたもんだ!とホントに恥ずかしくなりますが、当時の私は残念ながらそうだったんです。
でも、そういったデビューのチャンスや発表のチャンスを逃したのは事実で、気づいた時にはもう遅い。

だからこそ、今の若い音楽家の皆さんには、チャンスに喰らいついて、その次のチャンスその次のチャンスその次・・・と上がっていってほしいんです。
チャンスは目に見えない上に、どれがチャンスなのかも分からないものです。
だからこそ、いつそのチャンスが来ても受け止められるように、チャンスをすくう溝を一生懸命作っておく必要があるように思います。

田中: 他にも若い音楽家に伝えたいことがあればお話ください。

久保: ドイツに留学する人というのは、つまりはヨーロッパ音楽を学びにきたということですよね。
もちろん技術などを学ぶのでしょうが、ヨーロッパ音楽というものは本当に根が深いんです。
そこを学ぶことで、ドイツへ留学する価値がグンと上がるのではないでしょうか。

ヨーロッパ音楽の起源や教会音楽の進歩など学んでいくと、ギリシャ文明、エジプト文明、バビロニア文明等多くの歴史が見えてきます。
そういったことを知らずに、ベートーヴェンなどのことを知ることが出来るはずがないと思います。
例えばジプシー音楽であれば、単にハンガリーの音楽だと言うのではなく、ハンガリーは昔トルコに占領されていて、だからジプシー音楽にはトルコ民族が深く関わっているのだということを知っているだけで、学ぶ楽しさも増すし、そこから出てくる音楽も違ってくると思うんです。

ヨーロッパの歴史に抵抗なく触れることが出来るのが、ヨーロッパへ留学した醍醐味ですよ。
食事や文化も直に肌で感じ、音楽と歴史の繋がりを知っていくことが出来ますからね。

履歴書に書く為だけの留学はもったいないです。
個人的思いを言えばLiebe(愛)も学んでほしいですね(笑)
恋愛も音楽にとってはとても大切な要素ですから。

日本人て、あんまり先生に向かって意見を言わないでしょ?でもそれはとっても不自然に感じます。
そんなことを言いつつ、私も日本にいた時は例外ではありませんでした。でも先生からの指示に対して、いつも「いや違う!私はここはもっとこうしたいんだ!」っていう欲求はありました。しかしその頃は、何故自分はそう弾きたいのか?どうしてその様になるのか?という裏付けがなかったんです。つまりは知識がなかった。
音楽学を学んだのもその為でもあったように思います。
自分の意思や信念を持つ為にも、やはり学びは重要です。限られた時間の中での勉強方法が鍵です。

田中: そうですね。あの~、唐突な質問になってしまいますが、久保さんは今までに作曲を辞めようと思われたことはありますか?

久保: "Was kann ich? Ich kann nur Komponieren"
(私には何が出来る?作曲のみだ。)
かっこよく言うとそんな感じでしょうか(笑)
作曲をやっている時は楽しくて仕方ないんです。魚が水の中をすいすい泳ぐみたいに。
「作曲をやっていてストレスはありますか?」なんて聞かれるとしたら、「ご飯より好き!」って答えます。

田中: 個人的イメージですが、曲のアイデアがなくて煮詰まる人とか多そうですが・・・

久保: あ、そう?(笑)座ってりゃいつか出てくるわよ!いつか出てくるから絶対大丈夫。

田中: そうですか。そうやって産まれた作品が世に出る時は、かなりワクワクするのでしょうね。

久保: ええ。でも、結局私は作品を産むことしか出来ません。演奏家がいて初めて作品を発表できるんです。
私は音楽家を大切に出来る作曲家でありたいと常々思っています。
子供(作品)を手渡し、私の音楽を演奏家本人のものとして演奏してもらいたいと願っています。
正直言うとこういった気持ちになったのもつい最近のことです。前なんて、「何でこの人こんなことも出来ないの!」って思ったりもしてたんです。でも、そうではないという気持ちを持ち、今は演奏家一人ひとりに感謝しています。

田中: 最後に、久保さんにとって音楽とは何ですか?

久保: Hobby ist Musik.(趣味が音楽) Arbeit ist Musik.(仕事が音楽)Mein Leben ist Musik !!(人生が音楽 !!)
自分はすごく幸せな人種に属していると思います。だからこそ、怠けてはいけない。感謝をもって音楽と向き合わなければいけないと思っています。

久保摩耶子2



------------------------------------------------------------

久保さん、貴重なお話をありがとうございました!!

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/05/01(火) 00:00:00|
  2. 作曲

第三回 村上寿昭さん

murakamitoshiaki.jpg


<プロフィール>
東京生まれ。ピアノを塩野圭子氏に師事。
15歳より指揮を高階正光氏に師事。
桐朋学園大学にて指揮を小澤征爾、黒岩英臣、秋山和慶、各氏に師事。
大学在学中から、新日本フィルハーモニー交響楽団、サイトウ・キネン・オーケストラにて、その後も水戸室内管弦楽団、ウィーン国立歌劇場にて小澤征爾氏のアシスタントとして活躍。
1996、1997、2000、2004年サントリーホールオペラにてグスタフ・クーン、ダニエル・オーレン、ニコラ・ルイゾッティ、各氏のアシスタントを務める。
1997年渡独。ベルリン国立芸術大学でマティアス・フスマン教授に師事。また同時にウィーン国立音楽大学で、レオポルト・ハーガー教授、湯浅勇治氏に師事。
これまでに、ベルリン交響楽団、ハンガリー・セーゲット交響楽団、リトアニア国立管弦楽団を指揮している。
1999、2002年サイトウ・キネンン・フェスティバル松本、武満徹メモリアルコンサートを指揮。
2000年タングルウッド音楽祭にフェローとして参加し、小澤征爾、ロバート・スパーノ、アンドレ・プレビン各氏に師事。 また翌年にはアシスタントとして招待を受ける。
2001年サイトウ・キネン・オーケストラにてイェヌーファ、2002年小澤音楽塾にてドン・ジョバンニを指揮してオペラデビューを、またNECスーパータワーコンサートにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮しメジャーデビューを果たす。
2004年からはオーストリア・リンツ州立歌劇場にて、2006年よりドイツ・ハノーファー国立歌劇場にて、常任指揮者として活動中。


******************************

きらきーら村上寿昭さんにインタビューきらきーら

【留学時代】

(現在多くの舞台で、指揮者としてご活躍中の村上さんですが、留学生時代はどのようなものでしたか?)

最初はドイツ語が話せなかったので、言葉が通じず大変苦労をしました。
日本人の先輩や親しくなったドイツ人に助けてもらいながら、日々努力し勉強をしてきたと思います。
今でも辞書を持ち歩いて、色々聞きながら生活をしていますよ。
やっぱり頑張ったと思いますよ、自分自身(笑)

(そうですね、留学初期には、とにかく生きていくことに必死ですからね。ところで村上さんは、指揮はいつ頃から始められたのですか?良ければその経緯もお伺いさせていただけますか?)

僕は14歳から指揮を習い始めました。
当時中学生だった僕は、桐朋の音楽教室の記念コンサートでマーラー8番の 子供の合唱を歌ったんですけど、その時シノーポリと高関健氏がいらして、そこで初めて彼らの指揮を見ました。

それまでずっとピアノという一つの楽器をやってきた僕は、指揮というのはものすごい大きな楽器を操っているんだなぁ。って、とてもカッコよく思ったんです。ピアノの先生に「指揮がやりたいんですけど」って言ったら、指揮の先生を紹介していただいて・・・それで本格的に指揮を始めました。


【小澤征爾先生との出会い 】

(村上さんについての記事などを拝見させていただいていますと、小澤征爾先生のお名前をよく目にします。村上さんと小澤征爾先生の出会いをお聞かせくださいますか?)

僕は桐朋の学生時代に小澤先生に出会いました。
桐朋学園の先生の一人に、「小澤先生の練習が見たい」と自分から相談してみました。そしたら、「じゃ、サイトウキネンでバイトがあるからしてみるか」と言っていただき、ライブラリーで楽譜の仕事を手伝ったりしたのがきっかけで、そこから10年間は先生がいらっしゃる所にずっとついて行きました。

最初は、先生の楽屋に行ったりして何でもいいから話したくて、セリフも全部考えて覚えていくんですけど、足なんかめちゃくちゃ震えちゃって(笑)
先生の冗談をまともにとらえて笑われたり、恋愛相談なんかもしていました。とにかく何でもお話させていただいていましたし、先生はいつも僕の言葉にちゃんと耳を傾けてくださいました。良い思い出です。 先生にはいつまでもお元気でいてほしいと、心からそう願っています。

仕事をし始めて、先生とお会いする機会もウィーンにいた頃よりグンと減ってしまいました。それに加えて、日々勉強を必死でしていても、僕一人の力では迷いや悩みが出てくることがあります。そんな時はいつも、先生の言葉や「先生はどうやってたかな」などと考えては試行錯誤しています。しかし先日、久々に先生の演奏を聴く機会を与えられたときには「自分はまだまだだけど、自分の歩んでる道は間違っていないんだ。」そう思うことができました。それと同時に、「自分にもまだまだやれることがあるぞ!」と意欲が出てくるんですよね。

それに昔から、先生のところへお伺いさせていただくと、怒られてないのに怒られた気分になるんですよね~(笑)
自分は若いんだからもっと頑張んなきゃとか思ったりして。
それで、先生にお会いした後、次に会うときまでにはもっと成長しておこうと思って頑張るんだけど、先生がさらに成長なさっていて(笑)
本当にすごい方です。

(小澤先生の勉強には終わりがなく、朝も早くから楽譜をお開きになると伺ったことがあるのですが…)

そうです。パーティーとかで前の晩どんなに皆と遅くまで騒いでも、朝はきっちり早起きされて勉強されてるみたいですよね。とにかく、先生という素晴らしい方を目の前で見て勉強することができ、自分の目標にすることが出来た。そのことを本当に幸せに思っています。

(そんな小澤先生のアシスタントをされていた時のお話をお聞かせくださいますか?)


【小澤征爾先生のアシスタント時代】

とにかく何でもしました!
先生のアパートの掃除や楽譜の整理、音楽の面でも先生にくっついて毎日を過ごし、本当に貴重な教えを賜りましたし、それだけでなく先生は僕なんかの意見にもいつもちゃんと耳を傾けてくださいましたので、とにかく良く意見し合い会話をさせていただいていました。 また、「指揮者として、人とどのように接すべきなのか?」という学びも、僕にとっては大変大きなものです。

僕、実際先生にレッスンを見ていただいたことって指折り数える程なんですよ、実は。
でも、先生がされていらっしゃることを、いつも間近に見させて頂いていた訳ですから、そこからの学びはすごく価値のあるものです。

(村上さんにとっての師は、やはり小澤先生でしょうか?)

もちろん小澤先生でありますし、現在ウィーン国立音楽大学で指揮を教えていらっしゃる湯浅勇治先生、自分が小さい頃からピアノを師事した先生、指揮を一から学ばせていただいた先生・・・とにかく自分に関わって下さった全ての方々が僕の大切な師だと思っています。

僕が今やっていることは、今述べた師から学んだことを基に自分なりに発展させてやっているだけなんです。だから失敗すると、先生方のお顔を思い出したりして(笑)

(何というか、村上さんの出会いは本当に素晴らしいですね。)

自分でもとってもラッキーだと思っています。幸せです。
あと、僕サイモン・ラトルにも出会ったんです。


【ラトルとの出会い】

ウィーンフィルの日本ツアーが、ベートーヴェン全曲というプログラムだったんですけど、幸運にも東京オペラシンガーズの第九の合唱指揮に僕が選ばれたんです。その時、ラトルと一緒に過ごした時間がものすごく素晴らしくて、僕にとって音楽家としての人生観が変わった時でした。

(それは、一体どのようにですか?)

その前にニューヨークテロの911がありましてね、僕はその1ヶ月前くらいまでニューヨークにいたんですよ。もう、ものすごくショックでした…。
その時、音楽家たちが「こんな時だからこそ音楽をしよう!」といって演奏活動をしていたんですが、僕はショックがあまりにも大きくて…「何で音楽やってんだろう」なんてことまで考えた時期だったんです。

そんな時、ラトルに出会いました。

彼はね、「音楽は愛だよ」って言うんです。
僕が言うとクサイくなっちゃうんですけどね(笑)
音楽に対する愛情。作品に対する愛情。一緒に音楽をする者への愛情。聴いてくださるお客さん一人ひとりに対する愛情。それから、僕みたいな若者に対する愛情。

その時のサントリーホールでの演奏は、実に素晴らしい演奏でした。
僕も含めて沢山の方が涙していた。すごい拍手だったし、良い演奏をするとこれだけの人に感動を与え、良いエネルギーを造り上げることが出来るんだ!と肌で感じました。

そこから、人間愛とか一期一会といったものを心掛けるようになったんです。
僕も人間ですから、難しい時もありますけどね(笑)

(村上さんとお話させていただいて、すごく活動的でいらっしゃるなと感じるのですが、どこからそのパワーが出ていると思われますか?)

やっぱり、色んな人と出会って、特に音楽家でない人に出会った時に、自分が大好きな音楽を伝えたい!!って思うんです。それかな?(笑)

(それは村上さんの人との関わり方にも通じるように思いますが、どうですか?)

指揮者にとって、人への接し方は特に大切ですよね。でもそういった面においても、先ほどお話した各師に教えて頂いたと思います。
まだまだ、僕も下っ端ですからね~ 。だから、日々勉強です! 頑張ります!

(今日は、貴重なお時間をありがとうございました。それでは最後に、これからの音楽留学生へのメッセージをお願します。)


【これからの音楽留学生へ】

ドイツはとっても恵まれた国です。
日本の本屋さんもあるくらいだし、日本人も沢山いるので日本語も好きな時に喋れますしね。 だけど、音楽家として生きていくのは本当に大変なことです。
音楽が好きだという気持ちは一番大切だけど、それに加え自分が生きていくことも考えなければいけません。

今は環境自体がすごく恵まれたものになっていると思うんです。
費用がありタイミングが良ければ、それだけで留学するチャンスを誰もが持つことができます。もちろん、それは物凄く幸せなことですよね。でも、その幸せな環境を充分に利用出来ている人はどれくらいいるのかなぁ~、とふと考えることもあります。得に、しっかりとした夢や志を持って留学して来られる方が徐々に減っている気もしないではありません。もちろんそうではない多くの学生が、この地では一生懸命頑張っていますので、刺激を与えられることも多いですけどね。だからこそ、前者に対しては否定の気持ちと言うよりも、「もったいないなぁ」という残念な気持ちになるものです。

僕はね、本当に音楽が大好きです。
その音楽というものは、競争の世界では決してない。自分が楽しみ、聴いてくださっている方々を楽しませるものです。

そもそもの音楽の捉え方を自分なりにしっかりと持った上で、夢や志を大切に勉強を続けていかれることを願っています。

『素晴らしい力を持つ音楽に、純粋な気持ちで向き合っていく』
そんな音楽家でいたいものですね。


------------------------------------------------------------

村上さん、貴重なお話をありがとうございました!!



テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/04/01(日) 00:00:00|
  2. 指揮

第二回 木吉佐和美さん

kiyoshisawami.jpg



<プロフィール>
エリザベト音楽大学大学院修士課程修了。在学中はピアノを井上二葉、チェンバロを光井安子、そして音楽分析を近藤譲の各氏に師事する。広島市の奨学生として渡独。ベルリン音楽大学にて、ピアノを K.Bäßler氏に師事。優秀な成績にて、ドイツ国家演奏家資格を取得。在学中より、現代音楽をCエルフェ氏に師事。ベルリン芸術週間・メルツムジーク、メッツ・サントル・アカント、ダルムシュタット現代音楽夏期講習会、エッセン・ノーベンバーミュージック他、多くのに現代音楽祭に出演。ソリストとしてこれまでに、ベルリンシンフォニックオーケストラ、スロヴァキア室内楽団、エリザベト音楽大学オーケストラ等と共演。多数の現代音楽作品をFSB、rbb、SonyBMG、他で録音する。現在ソロ活動のほか、現代音楽アンサンブル「ベルリン ピアノパーカッション」及び、「ザイテンブリッケ」のメンバーとしても活動している。

---------------------------------------------------
Ensemble Berlin PianoPercussion
公式サイトはコチラ→http://www.berlinpianopercussion.com/

----------------------------------------------------


******************************

きらきーら木吉佐和美さんにインタビューきらきーら


田中: 先日佐和美さんがご出演なさった現代曲ばかり集めた演奏会は、大変素晴らしいものでした。中でも日本人作曲家の作品の完成度の高さに驚いたと同時に、佐和美さんはじめ演奏家の作品に対する理解の深さにも大変感心しました。現地の新聞にも取り上げられたようで、ドイツに住む同じ日本として大変誇りに思います。

木吉さん: ありがとうございます。評判が良かったみたいで嬉しいです。(笑)

田中: 今日は佐和美さんのドイツ音楽留学生時代のお話から今の活動に至るまでのお話、また、佐和美さんの音楽家としての様々なお考えをお聞きしたいと思います。

まず、佐和美さんがドイツ音楽留学を決められたのはいつ頃ですか?また、どのようにして留学されたのでしょうか。

木吉さん: いつかは留学したいなぁ~と思っていたのと、ドイツの作品に興味があったので、大学院で学んだ後にドイツへ音楽留学をしまた。ベルリンフィルをしょっちゅう聴きたかったので、ベルリンを留学地に選び、ハンスアイスラー音楽大学に入学しました。師事したい先生で、留学地を選んだわけではなかったんです(笑)

最初は住居から何から、いろいろ、言葉の壁も大変なものでしたね。例えば誰かと話しているときに、返ってくる反応でその人の「人となり」がある程度分かると思うのですが、当時の私は1歳、2歳児程度の言葉しか使えず、本当に言いたい思いが相手に伝わらない。自分らしい反応ができないことが、本当に悔しくて歯がゆかったのを覚えています。これじゃフラストレーションがたまりまくるはずですよね(笑)

田中: そうですね。私も語学からくるストレスで、一人家に引きこもっていた時期がありました(笑)
でも、いつだかそのストレスが軽くなった時があったと思います。佐和美さんの場合その壁はどのように克服されたのですか?

木吉さん: ドイツ語を必死に勉強したということはもちろんですが、まず自分が"駄目な人間"とまで思わなくても、『私ってこんなにも使えないんだ』と気付き、受け入れたところからのスタートだったように思います。また、スピーディーに喋ることが大切なのではなく、ゆっくりで良いから相手に思いを正しくキッチリ伝えることが大切なんだということも学びました。それに日本でも気を使えない人というのは、ドイツ語がいくら上手でも気の利いた言葉は出てこないものだということも。

音楽家としての仕事においても語学は非常に大切ですよね。私の場合、演奏家としての仕事以外にMusikschuleでも働いていますが、演奏家として使っている言葉と生徒を教える言葉の種類は、また違うように思います。しかしどちらにしろ、コミュニケーションは必要ですし、そりゃドイツ語がうまいに越したことないですよね(笑)

田中: はい。私ももっと勉強しないと!!語学の他に大変だったことなどありますか?

木吉さん: う~~ん。私の場合生活費の捻出で、そこが少し苦労したといえばしたのかもしれませんね。バイトで、バーのピアノ弾きをし、サロン音楽などを弾いていたこともあります。でも、そこでお客さんと話すことで言葉も上達したかもしれません。結構ワリもよくって長く続きましたよ。

田中: そうでしたか。佐和美さんのそのプラス思考はとっても好感が持てます!では、留学して良かったと感じることはどんなことでしょうか?

木吉さん: なんといってもベルリンフィルを安く、頻繁に聞けることは最高に素晴らしいことだと思っています。また、芸術家といっても色んな人がいますが、色んな国のいろんな人と話をしてビックリしたり新しい発見をしたりすることがとても新鮮です。そして、ドイツではそれぞれの発表の場が多く、お客さんも様々な方が興味を持って集まってくれるんですよね。

"楽"という言葉が私の住んでいる地域には当てはまるように思います。
音楽家として生きていくことは、どの国でも結構大変だったりしますが、地域的に肩の力が抜けた感じ『locker』で、周りには沢山の芸術家がいて、そのこともだいぶ精神的安定になっています。

あと『反応がストレート』ということも"楽"ですよね(笑)
例えば私の場合、現代音楽を演奏することが多いのですが、演奏が終わった後とかに興味が無い人は素直に「現代曲?ふ~~~ん。」なんてそっぽを向くし、たまに演奏途中で帰る人がいたり、熱烈に感動してくれる人がいたり・・・。とても楽しいし、良い反応があったら素直に嬉しいです。

また、音楽家ではないお客さんも、演奏や作品に対して自分が思ったことを、ストレートに伝えに来てくれるところも非常に嬉しいです。
良くても悪くても、私の演奏に対して意見してくれるということは、演奏を通して何かしら相手に伝わったということ。コミュニケーションが取れたということだと思うので、嬉しく思います。

田中: 私は大学時代の伴奏者に、「芸術家にとって、作り上げたものに対して無視されることが一番むなしいことだよ。だから、良い反応にしても悪い反応にしても、反応してもらえたことを喜ぶべきなんだ。」って言われたことがあります。まさにそれと同じことですね。

日本(人)とドイツ(人)の違いについて、私自身よく考えるのですが、佐和美さんはそのことについて何かお考えになられますか?

木吉: 日本人はわりと自動的に周りの人の事を考えて行動できるように思います。生活の中で人とうまくやっていく為に、和を大切にしますよね。これは非常に素晴らしいことです。ドイツ人の多くは、日本人とは逆に自分というものをしっかり持つことが大切と思っているので、Ja かNeinかはっきり、自分の意見もきっちり相手に主張します。でも相手もそうなので、激しい議論の後なんかも結構さっぱりしていて後にひかないんですよね(笑)。

どちらが良いとか悪いとかではなく、自分の持つ良いところはそのままキープし、相手の良いところを参考にする。相手の悪いところは無視しちゃう!!そんな臨機応変さがあったらいいなぁ~と思います。ちなみに私のドイツ人の音楽友達はね、「日本人はAngenehm(好感が持てる/感じが良い)だ!!」なんて言ってますよ。

田中: 日本人の良いところ、優しさとか丁寧さとか相手を気遣う心とかそういうの、どれだけドイツに長くいようと忘れたくないものですね。

佐和美さんとお話していると毎回、自分の意見をしっかり持たれた、それでいて温かみのある素敵な人だなぁ~と感じます。きっとドイツで音楽家として生活されるにあたり沢山の困難があるように思います。でも佐和美さんからはそんな苦労なんて何のその!というような、しなやかで、それでいて芯の強さを感じます。佐和美さんはそういったことをご自身で何か意識されていらっしゃいますか?


木吉さん: いいえ~、特に何も考えてないですよ(笑)
とにかく色んな人に助けられて支えられていることに感謝しています。あと、例えば嫌なことがあった時には、スパイラル状態に陥らないよう、状況をひとつひとつ受け入れていくことも大切かなぁ~なんて思いますね。「何故こうなったの?」じゃなく「じゃ、どうしたらいいのだろう?」と前向きに考えていく。結構大切なことではないかな。

田中: 同感です。それにしても本当にプラス思考でらっしゃいますね!海外で生活するにあたって、そういった自分自身の感情の調節にも慣れていく必要があるし、その為に自分なりの考え方や問題対処方法、時にはストレス解消方法なんかまで収得していく必要があるのかもしれませんね。

今日は沢山の興味深いお話ありがとうございました。個人的に、同音楽大学の先輩である佐和美さんのお話を聞かせていただくことを、前々から大変楽しみにしておりましたので、インタビューが実現できてとても嬉しく思います。

どうもありがとうございました。

最後になりましたが、これからの音楽留学生に向けて何かメッセージをお願いします。

木吉さん: 幸せが一番!!楽しんでください!!


------------------------------------------------------------

木吉さん、貴重なお話をありがとうございました!!


テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/03/01(木) 00:00:00|
  2. ピアノ

第一回 大平由美子さん

20070623222645.jpg


<プロフィール>
北海道札幌市出身。札幌藤女子中学校卒業。
東京藝術大学付属高校を経て、東京藝術大学卒業、渡独。1984年ベルリン藝術大学卒業。
ベルリン・リアス放送の音楽番組、北ドイツ放送の新人演奏会に出演。ルガーノ音楽祭、ラトヴィア音楽祭に出演。ベルリンを中心にドイツ各地で室内楽、ソロ活動を続けている。2002年からは、ベルリン藝術大学主催の「歌曲と器楽曲の夕べ」の企画を担当、定期的に演奏会を行っている。
近年は毎年帰国し、札幌を中心にオーケストラとの共演、リサイタル、室内楽の演奏会、後進の指導を行っている。ピアノを遠藤道子、松野景一、K.シルデ、E.アンドレアス、G.シュべックの各氏に、室内楽をW.ベッヒャー、T.ブランディス、G.ザイフェルトの各氏に師事し、マスタークラスでE.シュヴァルツコプフ、D.フィッシャー=ディースカウの両氏にリート解釈と伴奏法のレッスンを受ける。
現在ベルリン芸術大学講師。

★大平由美子さん属するベルリナー・ベーレンのHPアドレスはこちら★
http://homepage2.nifty.com/berliner_baeren/

******************************
きらきーら大平由美子さんにインタビューきらきーら

♪ドイツ音楽留学をされるに至った経緯を教えてください。

大学4年生の秋、私のピアノの先生から突然、「卒業したら、ドイツに留学したらどうか」と言われました。先生がドイツに研修に行かれた先で、ドイツの教授と親しくなられ、生徒を留学させる話になり、「それなら、ドイツの作品をたくさん勉強している君を推薦したい」とのこと。あまり急な話なのでびっくりしましたが、当時私は特にシューマンのピアノ曲をたくさん弾いていて、一度はドイツで勉強したいと思っていたので、とても幸せなことだと思い、さっそく留学の準備をはじめました。最初は、長くても4~5年のつもりでしたが、どういうわけか結局そのままベルリンに住みついてしまいました!(笑)


♪留学して大変だったこと、辛かったことはなんですか?

最初は大変なことばかりです。諸々の手続きを全部自分でやるわけですし、語学学校に通いながら、ピアノを練習して、生活するために毎日あらゆることを覚えていかなければなりませんでした。なんといってもドイツ語で生活していくことが大変でした。
実生活では、テレビの「ドイツ語講座」のように、ゆっくり話してくれませんし、相手の話の内容はなんとなく分かっても、自分の意思を正しく理解してもらえるまでには何年もかかりました。英語より文法が複雑で話しにくいんですよね。ヨーロッパの人は、ラテン語の基礎があるので4ヶ国語ぐらい話せる人はざらですし、語学学校でも周りの人はどんどん話せるようになっていくので、劣等感を感じていました。それに日本でのように親切に何でも標示してあったり、何度もアナウンスしてくれたりせず、分からなければ自分で質問しろ!といった感じですし・・・。
あと、「Nein!」と言えるようになるまで時間がかかりました。きっぱり「いやです」「出来ません」と言わないと、自分ではもう断ったつもりでも相手はどんどん押してくる。日本人のように、相手の顔色を見るなんていうのはあまりないみたいです。見上げるほど大きなドイツ人相手にバッチリ断る!・・・留学当初はそれがなかなか出来ませんでした。


♪留学して良かったことはなんですか?

まずは演奏会が安く聴けたこと!学生の頃は今夜はベルリンフィル、明日はオペラ、明後日はリートの夕べ・・・という感じで通いつめました。いろいろな分野の音楽を生で聴けたことは、ピアノを弾く上でも、すごくためになったと思います。教会でオルガン演奏(タダの事が多い)や、バッハのカンタータや受難曲など、たくさん聴いたことで、私にとってのバッハ像が大きく変わりました。それまでバッハといえば、いつも試験かコンクールの為に練習してましたから・・・(笑)
モーツアルトやベートーヴェンのピアノソナタを弾くときにも、シンフォニーやオペラが浮かび、シューベルトでは彼のリートが浮かぶ。また、リストではヴァーグナーのオペラが浮かんでくるようになりました。音楽することが楽しくなりました。
そして、こちらで実際に生活しながら、西洋音楽を学んでいくことは、自分の音楽と生活を一体化させますね。練習時間は日本にいるときよりも少なくなったけれど、ピアノ以外のことをしているときも、目に入ってくる自然、建物や街の様子、耳に入ってくる言葉、口にする食べ物や飲み物などが自然に自分の音楽と結びついていくんだと思います。例えばドイツ人がお琴を1日8時間練習してすごく上手でも、実際日本に行き日本の自然や歴史、日本人の様子を知ってみたら、やはり一味違ってくるのではないでしょうか?まさに“百聞は一見にしかず”ということでしょう。


♪留学するにあたり大切なことは何だと思われますか?

受験される人に関しては、当然のことですが試験曲を充分準備してくること!です。
こちらに来てすぐ毎日3時間とかの語学学校に通うわけですし、日本でのように夜遅くまで練習可能な防音住居はありません。各地の試験日は立て込んでいて、今日はハンブルク、明日はライプツィヒ、3日後はケルン・・・といった感じで、その間はほとんど練習できません。試験前は、受験生でスタジオも込んでいて一人1時間づつとかです。
またどんな留学生も注意して欲しいことは、やっぱり健康管理です。留学生達をお世話してきた経験からですが、環境が一変しストレスが続くと、受験前の大事なときに故障が出てくるものです。歯が痛くなる、親不知が腫れる、ドライアイでコンタクトが入らない、女性は生理不順、ひどい肌荒れ・・・想像もつかない体の異変が起こることがあります。日本にいる間に悪いところは治療したり、婦人科の検診を受けておく必要があります。ドイツは2月がハーゼルナッツ、4月半ば~5月上旬まで白樺花粉がすごいので、花粉症やアレルギーのテストも受けておくことをお勧めします。個人での薬の輸入は禁止されているので、当初は自分で日本から持ってきたほうが良いでしょう。


♪最後に、これからの音楽留学生へメッセージをお願いします。

私達日本人は西洋に憧れますが、西洋人が東洋に憧れる気持ちがすごく強いことを、こちらに住んで初めて知り驚きました。皆、日本のことを知りたがって色々聞いてきますし、漢字を書いて見せると、それだけでとっても尊敬されるんですョ!(笑)
日本的なお土産なら何でも喜ばれるので苦労しません。私の同僚で、ベルリン芸大の声楽教授でオペラ歌手でもある女性は、私が日本のスーパーで買って持って行った(安い)揚げせんべいにハマッて、何と夜、ワインと一緒に大切に一枚食べるんだそうです。・・・っと、何だか変な話になってしまいましたが、留学当初はドイツ語で劣等感を感じ、悩んだり、戸惑ったり色んな苦労がありましたが、今では、自分は日本人に生まれて良かったなぁ~と思っています。ドイツに長く住んで、逆に日本人、東洋人の良さに気がつきました。西洋の文化を吸収する努力を惜しまない一方で、東洋人の良いところを失わない。日本人としての誇りを持って歩んでいって欲しいと思います。また、ドイツに留学してきた時の最初の印象は一生忘れられないもので、最初に嫌な経験をしたり、だまされたり、孤独に陥ったりすると、その後の留学生活に大きな影響を及ぼし、やる気を失ったり伸び悩んだりしてしまします。そうならないためには、最初の事務的なことに取られる時間やストレスを少しでも軽くして、音楽の勉強に集中できる環境を出来るだけ早く作っていくことが鍵ではないかと思います。皆様がよいスタートをきって、その後の留学生活を明るく前向きに楽しんでいけることを心より願っています。


------------------------------------------------------------

大平さん、貴重なお話をありがとうございました!!


テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2012/01/01(日) 00:00:00|
  2. ピアノ
前のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。